俺の月子がこんなにロリなわけがない
2011年5月3日SCC20にて、無料配布していた誰得冬本から再掲。
ちっちゃくなった月子と会長話。
今、俺の目の前には不安そうな顔をした一人の少女がいる。
ワインレッドのワンピースを着て、長い髪の毛を二つに分けて三つ編みにし、それを耳の上あたりで結わえている――こういうのもツインテールって言うんだったか?
まあともかく、その服装も髪型も少女によく似合っていた。子供特有の愛くるしさが三割増、という意味で。
で、そんな少女の名前は夜久月子。
俺との関係を端的に言えば、恋人同士、だ。
……ああいや待ってくれ断じて俺はロリコンではないし犯罪的な行為に手を染めたりもしていない。
確かに目の前の月子はどう見てもロリでしかないが、彼女の実年齢は十九だ。もうすぐ成人する立派な女性だ。
何を言っているかわからないと思うがとにかくこれは事実であり現実だ。
そう――俺の彼女である二つ年下の夜久月子は、小学生ぐらいの姿になってしまっていた。
こんなことになった原因についてはもう言うまでもないような気がするが一応言っておくと翼のせいだ。
あいつはまたよくわからん飴を発明して、あろうことか月子に渡したのだ。置き土産だとか何とか言って。
だいたい月子も月子で、何でそのあからさまに怪しい飴を食べたりするかね。
そうぼやいたところ、だってせっかくもらったし自信作だって言ってたから……ときた。
翼の自信作で成功したものがあったか? とツッコんだらしょんぼり頭を垂れてごめんなさいとか言われた俺の身にもなってくれ。とりあえず翼は後で全力でシメるけどな。
肝心のその翼だが、アメリカへ留学していたあいつは先週から一時帰国していて、月子に置き土産を渡したその足で再びアメリカへ帰って行ったらしい。
今頃は飛行機の中だろう。
携帯もさっぱり繋がらないので、とにかく連絡が繋がるまで待つしかない状態だった。
以前翼が作った傍迷惑な飴は解毒用の飴が必要だったはずだが、月子によれば一定時間の経過で効果が切れるものもあるらしい。
……というか月子、以前にも同じような被害に遭ってたなら学習してくれ頼むから。
――ともあれ、状況を整理しよう。
月子が問題の飴を口にしたのは二時間ほど前。
翼を見送り自宅に戻ったところで飴を舐め始め、気が付くと身体が縮んでいたという。
その後、小さい頃の服を引っ張り出して身支度を調えた月子は、真っ直ぐに俺の所へとやって来た。
まあ、経緯としてはそんなところだ。
ただ幸いなことに彼女の自宅には誰もいなかったそうで、この非常識な現実に直面したのは俺と月子当人だけらしい。
しかし、こいつが訪ねてきた時は我が目を疑ったぜ。何せ出会った頃まんまの月子がそこに居たんだから。
俺は時計を見ながら、改めて計算してみた。
「二時間前に月子と別れて最速の便に乗ったとして……やっぱりまだ飛行機の中だな」
仮に向こうへ到着していたにしても、携帯が繋がらなければどうしようもない。
共に留学している木ノ瀬はアメリカに残っているとのことだったが、こちらも携帯が繋がらないためひとまずメールだけ送ったという状態だ。
結論として、今は待つ以外にできることはなさそうだった。
「さて、どうしたものか――」
ぐぎゅー。
何やら、可愛らしいと表現するには些か主張の激しい音が聞こえた。
見れば月子が顔を真っ赤にして腹のあたりを押さえている。
「確かに、腹が減っては戦は出来ぬ、だな」
「うぅ……」
そういえば自分も朝からろくなものを食べていないことに気付いた。
そして、さっきまでは何ともなかったくせに、一度自覚してしまうとその欲求はどんどんと高まってくる。
月子に続いて、こちらの腹も鳴り出しそうだ。
「よし、まずはメシにするか」
冷蔵庫の中に何かあっただろうかと考えて、何もなかったからろくなものを食べていなかったんだと気付いた。
状況が状況だし、できれば外出はしたくなかったんだが、仕方がない。
「何か買ってくる。食いたいものとかあるか?」
まだ恥ずかしそうに俯いている月子の顔を覗き込んでやると、
「……何でもいいです」
どうにも殊勝な返事が返ってくる。
「わかった。じゃあ適当に見繕ってくるから、ここで待ってろ」
さすがにこの状態の月子を連れて行くわけにはいかない。
もし、月子の言うように時間経過で戻るのだとしたら、買い物の途中で元に戻ってしまう可能性もあるということだ。そんな――公衆の面前で身体が大きくなり着ている服が裂けたりするような――事態だけは絶対に避けたい。
それに、何と言うか……。
(……微妙に、犯罪スレスレ……だよな)
見覚えのありすぎる少女を見下ろしながら、もし何かしらの言いがかりを付けられたらそれを論破するのは難しいだろうと、背中を嫌な汗が伝うのを感じる。
と、月子が何か言いたそうにこちらを見上げていた。
不埒なことを考えていたのが伝わったのだろうか――慌てて顔面を笑顔っぽくなるよう操作して、かなり低い位置にある頭に手を乗せた。
「いい子で待ってられるか?」
大きな瞳を覗き込みながら言うと、月子は僅かに顔を赤くして、それから、どこか戸惑いがちにこう答えた。
「……はい、不知火会長」
……うーん、何だろうな、このむず痒い感覚は。
それが顔に出てしまっていたらしく、月子が小首を傾げて聞いてくる。
「? どうかしたんですか?」
「え? ああ、いや……この姿のお前から会長って呼ばれるのも妙な気分だな、と思ってな」
ぽんぽん、と頭を叩きながら苦笑する。何も悪いってわけじゃないんだぞ、という意志を込めて。
どうやら月子の方も合点がいったらしく、少し考えてから言い直してきた。
「じゃあ、ええと……不知火くん?」
「ああ、懐かしいな、それ」
あの頃は確か、そんな風に呼ばれていた。
あいつらと同じに名前にちゃん付けされそうになった時はどうしようかと思ったが、断固として拒否した俺は正しかったと思う。
と、当時に思いを馳せていると、月子が何か言いたそうな目をしているのに気付いた。
「ん? どうかしたか」
「ぁ……あの、その……」
「何だ? 言いたいことがあるならちゃんと言ってくれ」
「ちょっと、言ってみたい呼び方が、あるんですけど……」
「へえ? なら、言ってみろよ。大丈夫だ、翼みたいな渾名じゃなけりゃ怒ったりしない」
もじもじと口籠もる月子を促すと、やがて意を決したように真剣な顔になり、その可愛らしい口を開いた。
「か……一樹お兄ちゃん」
「ぶうっはあ!?」
俺は思いっきり吹き出した。
と、咄嗟に首を横に曲げられたのは僥倖だったぜ……。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……。ていうか、お……お兄ちゃん、って」
(よ……よりにもよって何故そんな犯罪的な呼び方をチョイスした!?)
何というか、外で聞かれたら確実に言い逃れできなさそうな単語すぎる。
「あ……その、私、一人っ子だったから、ちょっと言ってみたくて……」
なるほど、まあその気持ちはわからんでもない、わからんでもないが……。
「……あ、嫌です、か? 嫌なら、止めます」
「い、嫌、というか……」
出来ることなら勘弁願いたいのは山々……なんだが。
申し訳なさそうに歪むロリフェイスを前に、俺に用意された選択肢はたったの一つしかなかったわけで。
喉元まで来たため息を強引に飲み込んで、俺は言った。
「……いいよ、それで。お前の好きに呼んでくれりゃいい」
それに、今回の犯人からオヤジオヤジ呼ばれてるのにかこつけて、「お父さん」なんて呼ばれるよりはよっぽどマシだろうしな。
ふ……ふふふ翼、今回ばかりは全力でシメるぞー覚悟しとけー?
OKを出した途端、月子の顔がぱっと輝く。
あーあ、本当こいつは顔に出やすいっていうか、出すぎだよな。まあそこが可愛いんだが。
あと、やっぱり月子には笑顔が似合ってる。
この笑顔が見られるんなら、呼び方の一つや二つ好きにさせてやるさ。
「ありがとう、一樹お兄ちゃん!」
……まあ、状況的に何とも複雑ではあるけどな。
***
「ただいまー……っと」
近くのコーヒーショップでサンドイッチを見繕って戻ってみると、月子はソファの上ですやすやと寝息をたてていた。
「ったく、本当に子供だな」
テーブルの上に買ってきた袋を置いて、丸まって眠る月子の横に腰を下ろした。そうして、その寝顔を覗き込む。
(……本当、無邪気なもんだ)
月子と出会った頃――それを思い出すのは、あまり楽しいことじゃない。今でも己の無力さに全身が引き裂かれそうな気さえする。
(でも、お前と出会って……俺は、変われるきっかけを掴んだ)
掴んで、そして――彼女を巻き込み、その心に消えない傷跡を残した。
月子は今も暗闇を恐れている。俺のせいで。怖がらなくてもいいものを怖がるようになってしまった。
もう絶対こいつらに近寄らないでください――そう俺を糾弾した声だって、今も鮮明に思い出せる。
(……本当、ごめんな)
月子の頬にかかった横髪をそっと払ってやりながら、じくりとした痛みを受け入れる。
でも、それだけだ。今更蒸し返したところで、もうどうにもならないことなのだから。
それに俺は、月子を幸せにしてやると決めた。決めたからには、俺はそれをやり通す。誰に何と言われようと、だ。
(それが俺なんだしな)
――ぐぎゅるー。
……少しは空気を読め、俺の胃袋。
「ま、無理に起こすのも忍びないし……」
とりあえずこっちの腹の虫を大人しくさせることにするか。
買ってきた袋をがさごそと探り、中からサンドイッチを取り出す。
あー、とそれに大口を開けて食い付こうとして、ふと月子の寝顔が目に付いた。
「……」
それはちょっとした出来心だった。
俺は食べようとしていたそれを、すやすや眠るお姫様の顔に近づけてみる。
「ん……」
お、反応した。
もう少し鼻の近くに寄せてみる。サンドイッチだし、美味しそうな匂いが立ち上る――ということはないんだが。
すんすん、と月子の鼻は小さく動いた気がした。
なかなかの反応に気をよくした俺は、ついサンドイッチを近付けすぎてしまい、あまつさえ月子の口にそれを押し付ける形となってしまった。
「んむ……ふぇ?」
結果、姫は無事に目を覚ますこととなった。
王子様ではなく、サンドイッチのキスによって。
「おはようさん、眠り姫様」
「ぁ……え、あっあの、私、寝ちゃって……!」
あたふたと起き上がる月子の頭をぽんぽんと叩いて、まずは落ち着かせる。そうして軽く頭を下げ、素早く後ろに隠しておいたサンドイッチを恭しく掲げながら、告げる。
「大変お待たせしました姫君。本日の朝食はサンドイッチにございます」
「か、からかわないでください!」
「っははは、悪い悪い」
俺は袋の中からもう一つのサンドイッチを取り出す。
「ほら、お前のはこっちだ」
「あ、はい」
さすがに釣り餌みたいなことに使った方を食わせるわけにはいかないからな。
そして、俺と月子はあっという間に朝食を平らげた。
小さくなった月子の手には少々大きすぎたかと思ったのだが、要らん心配だったらしい。むしろ俺の腹が八分目という気がする。
ただおそらくそれは、月子の顔を見ながら食べていたせいだと思う。
「月子は本当、美味そうに物を食うよな」
「え!? そ、そうですか?」
「そうだよ。見てるこっちの腹が減るくらいだ」
「……それって、誉められてませんよね」
「誉めてるじゃないか」
「誉められてる気がしませんっ」
そうやって、ついいつもの調子でからかっていたら、
「一樹お兄ちゃんの意地悪」
「ぶほっ」
思わず吹き出してしまったくらいには、何故だかわからないがこう胸を抉られる感じの単語を突き付けられた。
いやそれで呼んでいいと言ったのは確かに俺なんだが、だがしかし……!
ともあれ、腹の具合も落ち着いたところで、俺たちは再び携帯とメールで翼への連絡を試みた。
が、やはり通じない。頼みの木ノ瀬からも返事は来ていなかった。
しょんぼりと肩を落とす月子の頭を優しく叩いてやりながら、さてどうしたものかと思案する。
まあ待つ以外の選択肢は用意されていないのだが――実は今日中に片づけておかないとならないレポートがあったりする。
もちろん、月子の一大事の前にそんなものは些細なことだ。……と言いたいのだが卒業に関わる単位がかかっているのできっぱり言い切れないあたりが何とも情けない。
「……一樹お兄ちゃん、これ……」
うーむと悩んでいた俺に、月子が差し出してきたものは――そのレポートのレジュメだ。
「締め切り明日って」
「あー……まあ、そうなんだが」
「終わってないんですよね」
月子が室内を見渡しながら言う。
調べ途中の資料やら本やらが散乱しているのは月子には見慣れた光景だろうから別にいいかと思っていたが、まさかそれが裏目に出るとは。
「すぐにやって下さい」
「え? いや、しかしだな」
「私のことなら気にしないで下さい。……というか、忙しい時に突然押し掛けてきちゃってごめんなさい」
ぺこり、と深く頭を下げる月子。
「って、こら。そこは謝るところじゃないだろ」
「え、だって……」
「謝るべきなのは翼だ。お前じゃない」
それに、いの一番に俺を頼ってきてくれたというのは……正直に言わせてもらえば、嬉しかったりするわけで。
こいつは迷惑をかけたくないとか言って人に頼るってことをあまりしないからな。他人ならまあともかく、彼氏の俺ぐらいはどんどん頼ってくれていいんだ。
ただ、ここで「嬉しい」なんて言うのはさすがに不謹慎だろうから、言わないでおくけど。
「……わかったよ。じゃあ、お言葉に甘えて俺はレポートを片づけさせてもらう。超特急でな」
「はい。……私、ここに居ても平気ですか? 気が散るとかなら、他の部屋か、どこか外に出てますけ――」
「いや、いい。ここに居てくれ」
俺はきっぱりと答えた。
つーか、外に出るなんてとんでもない!
……いや、今別に不埒な想像とかはしてなかったからな。
破れた服とかピチピチになった服とか考えたりとかはしていなかったからな!
「あ……はい。じゃあ、私もお言葉に甘えて」
月子は月子で、何だか嬉しそうに言ってくるし……くそ、本当にこいつ、可愛いなあ!
そして俺は何つーか本当すいませんでしたー!!
……というわけで、脳内だけで盛大に謝罪を済ませた俺は、真面目にレポートに取りかかることにした。
月子には適当にくつろいでてくれと言ったが、やはり何かしていないと落ち着かないのだろう。
先程からそわそわと辺りを見回したり、時計を睨んでみたり、携帯とにらめっこしてみたりと忙しい。横目で見てるこっちがハラハラしてくる。
何か気の紛れることでもしてもらった方がいいか。
「なあ、月子」
「あ、はい」
「この状況でお願いするのは悪いとは思うんだが……ちょっと頼まれてくれないか」
「いいですよ、何ですか?」
お、食いついてきたな。心なしか、月子の表情が少しだけ明るくなった気もする。
「これなんだけどな」
俺はテーブルの横に積んでいた紙束を月子の前へ置いた。
「昨日コピーしてきた資料だ。ただ、昨晩うっかり落としてバラバラにしちまってな。ちと面倒だが、ページ順に並べ換えてもらえると助かる」
ちらり、と月子を見ると、目一杯に瞳を輝かせて、大きく頷いてきた。
「わかりました」
「悪いな」
月子の頭を撫でてやると、子供扱いしないでください、と小さく頬を膨らませる。手を離してやるとすぐに破顔して、頑張りますと宣言してきた。
まったく、体は小さくなっても中身は同じだ。
いや、体が小さかった頃からそうだったな。
お前はいつだって、頑張り屋で――頑張りすぎるくらいだった。
俺も頑張ってさっさと終わらせないとな。
早く月子を元に戻して、翼に拳骨の一つでもくれてやらなければ。
そうして室内には、しばらく紙をめくる音と、俺がノートパソコンを叩く音だけが響いていた。
「いたっ」
静寂を破ったのは、そんな小さな、どうにも不穏な声だ。
「月子?」
振り返ると、月子が慌てて両手を背中に隠すところだった。
「あ……な、何でもないですから」
「見せてみろ」
もはや何があったのか問い質すまでもない。
「大丈夫です」
「大丈夫なら見せられるだろ」
「……」
観念したのか、月子はゆっくりと両手を前に出した。
さっきまであんなに嬉しそうにしていた顔を、今にも泣き出しそうに歪めながら。
左手は何ともない。
だが右手の人差し指に、一筋の赤い線が伸びている。その線の先端には、ぷっくりと赤い球ができていた。
コピー用紙で切ってしまったのだろう。
「痛いか?」
「平気です」
つまり痛いってことか。まったく、変な所で意地張りやがって。
「とりあえず消毒だな」
手当てに必要なものを探そうと立ち上がろうとして、膨れ上がった血球がその形を変え、だらりと月子の指を伝うのが目に入った。
床に垂れる――そう思った時には、既に身体は動いていた。
こう、ぱくりと。
舌先に広がる鉄っぽい味を嚥下して、傷口を広げないよう、そっと撫でるようにして血液を吸い上げて――
「っ……!?」
月子が息を呑む音で我に返った。
(――あ)
視線を前に向ければ、真っ赤にした顔を俯かせて何やらぴるぴると震えている大層可愛らしい少女の姿がそこに。
「って、わ、悪い!」
慌てて月子の指から口を離し、掴んでいた手も離して、三歩ほど後ずさり互いの距離そのものも離す。
(やっべ……つい、自分の指切った時と同じ感覚で)
目的は止血ではあったものの、ロリ少女の指を咥えてバキュームするとか――現状これを取り締まる法は存在しないがそれでも――込み上げる途方もない罪悪感に、全俺が土下座したい心地になった。
「そ、その……悪かった、つい……」
つい、で済むなら法律は要らない。
だが、月子はふるふると首だけを振って俺の無罪を容認してくれた。
「と……とにかく、消毒しないとな。月子、こっちへ来い」
さっきの今で手を引いていく勇気は俺にはなかった。ので、手招きして呼び寄せる。
そうやって月子を洗面所まで案内し、そこで傷口を洗わせた。その間に消毒薬でもないかと探したが、見つかったのは絆創膏だけだ。
洗った傷口を丁寧に拭いてから、絆創膏をぺたりと貼ってやる。
「これでよし、と。悪いな、ちゃんと消毒とかできなくて」
「い、いいえ。平気です、これで」
と、貼られた絆創膏を隠すように、月子は指先をそっと握った。
ぽん、とその頭に手を置いて、よしよしと撫でてやった。
「次からは気を付けろよ」
「はい……」
月子の返事は弱々しく、手を置いていた頭がどんどんと下がっていく。
「……月子?」
「ダメですね、私」
下を向いたまま、月子は震える声で続けた。
「生徒会の仕事してた頃は、こんなのよくあったことで、だからちゃんと気を付けられてたのに……」
ぐすっ、と鼻を鳴らして、弱々しく首が振られる。
「……私、一樹お兄ちゃんの役に立とうと思ったのに……全然、ダメで――っ!?」
思うより早く、手が出ていた。
腕の中に小さな身体を閉じ込め、そして俺はようやく思い当たった。
(月子だって、こんなことになって不安じゃないわけがないのに……何で、そんなことにも気付かないんだ、俺は)
月子が呆れるぐらいの頑張り屋であることぐらい、とうの昔から知っていたことなのに。
「……悪かった」
「ぇ……?」
「俺はまた、お前に甘えちまった。ごめんな」
抱き締めた月子の頭を撫でる。
その行為は、月子を安心させたいのではなく、ただ俺が安心したいだけだ。
「一樹、お兄ちゃ……」
こいつが自分の手の届く所にいる、というその事実を実感したいだけだ。
「いいんだ。役に立つとか立たないとか、そんなの関係ない。俺はお前がいてくれればそれでいい。今日のことだって、迷惑だなんて一つも思ってない。むしろ、お前が俺を頼ってくれて嬉しかった」
俺が自分勝手なのはいつものことだ。
けれど、今はそのことが少しだけ情けなく思える。
「だから、もっと甘えてくれていいんだ。レポートなんかいいから構ってくれって、言ってくれていいんだ。そうしたら、俺も心置きなくレポートを捨てられる」
「……そんなのはダメです」
小さく息を呑む音。それに続いたのは、説教口調の言葉。
ああ、そうだった。
初めて会った時も、お前は俺に説教したよな。
ケンカはダメです、に始まって、心が強くない人は弱虫です――ってさ。
「そう言うと思ったよ」
少しだけ腕の力を強めて、何よりも大切な存在を抱き締める。
姿が変わっても、月子は変わらない。
変わらず俺を戒めて、俺を俺でいさせてくれる。
大切なことが何であるかを、思い出させてくれる。
「本当に、ごめんな」
自然と出てきたのは謝罪の言葉だった。
そして、腕から力を抜いていく。
俺の胸に押し付けられていた月子の顔が、ゆっくりと上がる。
大きな瞳には薄く涙が残っていて、俺は吸い寄せられるようにそこへ唇を押しあてた。
顔を離すと、例によって顔面を茹で蛸みたいにしている月子がいて、俺は知らず、安堵のため息を漏らしていた。
***
レポートにどうにか目処をつけられたのは日も沈んでからで、いつの間にか俺の背中に寄りかかって眠る月子を起こさないようにするのにわりと苦労したりした。
さらに翼とはまだ連絡がつかず、この姿のまま月子を一人で帰らせるわけにもいかないので、とりあえず今夜は泊まっていくように言った。
夕飯はまた適当に買ってきたもので済ませて――そして。
「……一樹お兄ちゃん」
「おお、どうだ、大丈夫か?」
「うん……ちょっと大きいけど、平気です」
だぶだぶのシャツで登場したのは、先に風呂へ入らせていた月子だった。
袖口は何重にも折ってあり、肩口はボタンを全部止めても意味がなく、今にもずり落ちそうになっている。
「……やっぱ少し無理があるな。といって、これより小さいサイズは持ってないしな……」
「これでいいです。……一樹お兄ちゃんの匂いがするし」
なんて呟いて、シャツの中に自ら埋もれ気味になる月子。……これだから天然は。
「……じゃあ俺も入ってくる。あと、冷蔵庫にアイスがあるから食っていいぞ」
「えっ、いいんですか」
「ああ。お前のために買ってきたんだから、遠慮なく食えよ」
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げるなり、さっそくキッチンへ走っていく月子。
……子供だ。なんていうか子供だ。
(よし、問題ない……そうだ、問題ないぞ!)
いくら彼女とはいえ、ロリになった姿にどうこうとかそういうことはない! ないからな!
(そうだ、仮にも司法を目指している俺が法に抵触するような真似なんかするわけが――)
俺はもう一度後ろを振り向いた。
月子が冷蔵庫から取り出したハーゲンダッツを掲げ、目をきらきらさせていた。
――うん、ないない。
いただきまーす、と叫ぶ月子に軽く手を振って、俺は微妙な安心感を抱きつつ風呂場へ向かった。
これといって急ぐこともなく、普段通りに風呂を堪能して戻ってみると、とっくにアイスを食い尽くしたらしい月子が甲斐甲斐しく片付けをしていた。
「おいおい、そんなことまでしなくていいって」
「アイスのお礼です。ひとまず、不要そうな用紙はこっちにまとめておきました」
「おう。ありがとうな」
わし、と今日何度目かわからない頭撫でを敢行する。
月子の方も慣れたもので、照れ臭そうに俺の手を受け入れている。
「さて……来たか?」
「いいえ」
ふるり、と首を振る月子。もう開き直ってきたのだろうか、その表情にはそれほど悲壮感は感じられない。
「そうか。……じゃあ、寝るか。ちょっと早いけど」
あふ、と欠伸を噛み殺した月子を見て、そう提案する。
「あ、だ、大丈夫です、私」
「俺も今日は集中して疲れた。今日のところは早めに休んで、明日に備えよう。翼の奴にしっかり雷を落としてやらないとだしな」
「……はい」
おどけて言った俺に、月子はくすくすと笑って同意した。
良かった。
この笑顔が自然に出てきたのなら、本当に安心だ。
「じゃあ寝る――前に、歯磨きだな。特にお前は、アイス食ったし」
「はい。あ、本当にごちそうさまでした」
律儀にまた頭を下げる月子の頭を撫で、それから二人で並んで歯磨きをし、二人でベッドに入った。
一応客用の布団はあるが、こいつを一人で寝かせる選択肢は元からない。
部屋の灯りは完全に落とさずに、ぼんやりとした照明を付けたままにした。その上で、カーテンを僅かに開け、窓の外から月明かりを取り込んでやる。
「ほら、月子」
枕のない所に頭を置こうとした月子に、俺は伸ばした自分の腕をぱしぱしと叩いた。
「え……で、でも疲れちゃいます」
「いいって、遠慮するな。それに、今のお前ならいつもより軽いだろ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
もそもそと月子が移動してくる。おずおずと置いた頭の位置を調整してから、こちらに微笑みかけてきた。
残った片手で、軽く月子の頭を撫でてやってから、前髪を梳くふりをして軽く除けた。
そうして露出させた額に、素早くキスを落とす。
「……おやすみのキス、な。って、何でこれぐらいで真っ赤になってるんだよ」
「だ、だって……と、突然だった、から」
そう言われてみると、俺がお前にキスするときは大抵が突然な気がしないでもないけどな。
いいかげん慣れてもいいと思うんだが……いや、慣れられてまったくのノーリアクションというのも、それはそれで面白くないというか寂しい気がしないでもない。
うん、これからもしばらくは慣れなくていいぞ、月子。
などと心中で尊大に語りかけつつ、俺は端的な言葉で先を促した。
「で?」
「……で、って?」
「だから、俺にはしてくれないのか? おやすみのキス」
「……っ!」
おーおー、ここからさらに赤くなるか。子供の姿でも可愛いもんは可愛いよな。……くそ、平常心、平常心だ!
「ほら、どうした? いつもしてくれてるみたいにしてくれればそれでいいんだぞ?」
「わ、わかりましたからっ! こ、心の準備とか、そういうのがあるんです!」
おいおい、何を今更。
しかも、こっちはわざわざ額に――唇に返さなくてもいいように――してやったっていうのに。
「め、目を瞑っててください!」
「はいはいっと。これでいいかー?」
「はい……いいって言うまで開けたらダメですからね」
「わーってるって。ほら、早く」
大人しく両目を閉じて急かしてやると、やがて小さく啄むような感触が頬へ落ちた。
「……いい、ですよ」
許可が出たので目を開けてみると――まあ、案の定だ。
「それ以上赤くなってくれるなよ? 色が戻らなくなるかもしれない」
「そ、そんなことあるわけないです!」
すぐムキになるのは、大きくなっても小さくなっても変わらないな。
(……そうだよな。月子だ)
こいつは、昔からずっと変わらず、俺の大事な存在だ。
「じゃあ、寝ようぜ。明日のためにもな」
「はい。……おやすみなさい、一樹お兄ちゃん」
「おう。おやすみ」
一分もしないうちに、小さな寝息が聞こえてくる。寝付きがいいのは良い子の証拠だな。
俺はしばらくその寝顔を観察していたが、いつまで経っても飽きそうにないことに気付いた。
仕方ない、俺も寝るとするか。
そうして目を閉じれば、腕にかかる温かくて心地良い重さが、ゆっくりと心を満たしていく――
……はず、だったのだが。
「……ん……」
小さな吐息と共に、もぞもぞと動く気配。
どうしたのかと目を開けると、腕枕の位置がよろしくなかったのか、月子がもぞもぞと身動ぎを始めた。
そのうちに俺の腕枕から外れていき、ただのシーツの上に頭を乗せたところで、動かなくなる。
結果として、横向きになっていた寝相を仰向けにした月子は、枕レスですよすよと穏やかな寝息を立てるばかりで。
「……まったく」
寝相を変えた拍子に、顔にかかってしまった髪の毛をそっと除けてやる。すーすーと心地良さそうに眠っているので、これをもう一度腕枕へと戻す気にはなれない。
(ったく、遠慮すんなって言っただろうが。……お前が悪いんだからな?)
俺様の腕枕を拒否した罰だ。
「……ん」
小さな寝息をたてる、僅かに開いたその唇に、自分のそれを重ねる。
そうして顔を離しても、月子が起きる気配はない。
「おやすみ」
囁いて、俺も月子の隣で眠りについた。
――で、その翌朝。
何故か元のサイズに戻っていた月子が下着(より具体的に言うならパンツのみ)+ Yシャツ、とかいうとんでもない格好になっていたりすることは、……当然ながらこの時の俺は知る由もないのだった。
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以前やらかしたメガネとロリつっこネタを書いてた時にふと、
「会長の目の前に当時そのまんまのロリつっこが現れたりしたら会長の心を存分に抉れるんじゃね!? 何それ蝶楽しそう」
……と思い立った結果がごらんの有s(以下略)
会長はメガネと違ってエロゲ主人公語りさせても何ら違和感がなさすぎてやりやすかったです。
会長のキャラがあちこちおかしいですが気分的にはギャグ話のつもりだったのでそっと受け流していただければ幸いです会長ファンの皆々様には本当にすみませんでした土下座。
扉絵は仲村さんに無茶振ってパロ構図で描いてもらいました。
ほんとめんどくさいことさせてすまんかった仲村さんマジありがとー!!