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 ED後、バレンタイン話。
 
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  これならまず失敗することはないと思う。
  語尾にそっと「多分」と付け加えながら幼馴染が教えてくれた、一つのレシピ。……レシピというほどの手間はかかっていないのだけれど、これも料理、だよ ね。一応。
  用意するのは刻んだチョコレートと一口大に切りそろえた具材。味付け不要、鍋に入れて弱火で温めるだけの簡単な作業。
  その料理の名前は――チョコレートフォンデュ。
 「なるほど、考えたね。……幼馴染の彼が」
  準備したそれを見た郁は、それが誰の功績によるものかをあっさり見抜いてしまった。
  もともと誰から教えてもらったかは白状するつもりだったとはいえ、少し気まずい。
  まあ、「料理下手な私には料理上手な幼馴染がいる」という事実は随分前から郁も知っていることだし、言うまでもなくバレバレだったのかもしれないけ ど……。
 「ほら、そんな顔しないの。そりゃあ、月子の案じゃないってのはちょっと残念だけど、でも月子が僕のために用意してくれたことには変わりがないし」
  郁の手が私の頭をぽんと叩く。
 (……まるで子供を宥めるみたい)
  そう思った途端――しょんぼりする間も与えられず――、郁の顔が目の前に来た。
 「ありがとう、月子。すごく嬉しい」
 「う……うん」
  キスされそうなぐらい間近で囁かれて、私は一気に顔が熱くなるのを感じながら、曖昧に頷いた。
 「そうやってすぐ赤くなるの、そろそろ慣れない?」
 「そ、そう言われても」
  これでも、迫られることに関しては随分慣れた方だと思うのだ。……その、驚かなくなったとか、そういう意味合いでは。
  ただどうやっても、眼鏡の奥にある瞳とか、妙に艶っぽい声色とかが間近で――リアルに感じてしまうと、落ち着いていられなくなる、というか。
 「そんな風に可愛いと、チョコレートどころじゃなくなりそうなんだけど?」
  僅かにひそめられた声に、意地の悪さが付与されたのを敏感に察して、私は思い切り両腕を前に突き出した。そして叫ぶ。
 「せっ、せっかく用意したんだから食べて!」
 「はいはい、わかったよ。それにやっぱり、お楽しみは後に残しておかないとね」
  もちろん、それはいつもの冗談だろうとはわかっていたけれど。
 「……っ」
  反射的に硬直してしまった私を見て、郁は遠慮なくけらけらと笑った。
 
 
 
 *****
 
 
 
 「チョコレートフォンデュって結構おいしいんだね。もっと甘ったるいのかと思ってた」
  ビターチョコを使った方がいいとアドバイスされた――と言いかけて、そうだね、と無難な相槌に差し替える。
 「……っと、はい、最後の一個」
  持ち手が星型になった串をさした苺を差し出される。
 「いいよ、郁が食べて」
 「そう? じゃあ遠慮なく」
  そのまま、何となく郁の手――その先にある苺――を見やってしまう。
  チョコを軽くまぶしたそれが口の中へ消えていく。
  それは本当に何でもない仕草なのに、妙に色っぽく見えるのは気のせいじゃないと思う。
 (男の人なのに……)
  自分にはないそれを持つ郁が、少しだけ羨ましい。
 「……物欲しそうな顔」
 「え?」
  最後の具材を食べ終えた郁は、呆れたように言った。
 「今の月子の顔のこと。食べたかったなら言えばいいのに。遠慮することなんかないでしょ」
 「そ、そんな顔なんかしてないよ」
 「してた。まるで、おもちゃ屋のショーウィンドウをじーっと見てる子供みたいな顔だったけど?」
  そんな顔をしてた覚えはないんだけれど、……でも実は、自分ではわかってないだけで、本当にそんな顔をしてたのかな?
  だとしたらすごく恥ずかしい。「子供っぽい」どころか、「子供」そのものだ。
 「まあ、月子はどんな顔をしても可愛いから、僕はいいけどね」
  こっちは全然よくないし……。
  でも、どこからどう反論していいのかわからなくなってきたので、私は黙って受け流すことにした。
 「ねえ、これってさ、余ったやつはどうするの?」
  郁が指差した先には、鍋に少しだけ残ったチョコレートがあった。さっき保温のスイッチを切ってしまったから、半ば固まりかけてるみたいだ。
  鍋の説明書と、幼馴染みから受けた簡単なレクチャーを思い出しながら答える。
 「えっと、もう一度温めれば溶けるから、このまま冷蔵庫とかで保存してまた使ってもいいみたい」
 「そう。でも、本当にあとちょっとだよね」
  確かに、もう一度チョコレートフォンデュをやるには全然量が足りないし、あといくつか具材が残ってたらちょうど良かった感じだ。
 「ねえ月子。これ、ちょっと温めてもらってもいいかな」
 「うん、いいけど」
  何か食べ方でも思いついたのかな?
  私が保温のスイッチを入れ直すと、一分もしないうちにチョコレートがとろりとした柔らかさを取り戻した。
 「これぐらいでいいかな」
  鍋の中をスプーンでかき混ぜていた郁は、僅かにすくったそれを舐めて満足そうに頷いた。
 「ちょっと月子、こっち来てもらえる?」
 「え?」
 「僕の隣。ほら早く」
  向かい合って座っていた席を立って、私は言われるままに郁の隣へと座り直した。
 「これでいい?」
 「うん。そのままじっとしてて」
  郁は私の右手を取ると、何かを確認するように、手の甲を指先で何度か撫でた。
  一体何が始まるんだろう。
  若干の不安を抱えつつ、郁にされるがまま――指先が離れた手の甲に、スプーンからチョコレートが垂らされた。
 「あっあの郁、何してっ」
 「じっとしてって言ったでしょ。熱くない?」
  郁は平然と、それを薄く塗り広げていく。
 「そ、れは平気だけど……郁、食べ物を粗末にするのは」
 「そんなことしないよ。ちゃんと――」
  スプーンをお皿に戻した郁は、ふー、と手の甲に息を吹きかけてきた。
  くすぐったさと、わけのわからなさと、行為そのものへの恥ずかしさとで、ずっと握られたままの手を振り払いたくなる衝動と戦う。
  戦って――戦ったその先には。
 「――っ!?」
  さり気ない動作で、郁の唇が手の甲に触れて――ぬるり、とした感触が続く。
  見た目だけなら、騎士がお姫様にする忠誠の誓いに似ているのに、今ここにはそんな真摯な何かはどこにもない。
 「いっ、いい郁……っ」
  思わず右手を引いたけれど、強く握られたそれはびくともしない。
  だから私はなすがまま――見ていられない光景から逃げるべくぎゅっと両目を瞑って――チョコレートを舐め取られる感覚を享受する他ない。
 「……ほら、ちゃんと食べた」
  その声にそろそろと目を開けると、チョコレートが消え失せた手の甲があった。もちろん、手は掴まれたまま。
  もうどうしたらいいのかわからないレベルで混乱する私をよそに、郁はもう一度チョコレートをすくおうとしていて、
 「い、郁! そっ、そういう食べ方はもうダ」
  「メ」、と続けようとした言葉は、郁の人差し指によって遮られてしまった。
  私の唇に触れたその指先には、溶けかけのチョコレート。
 「あ、ごめん。チョコレート、月子の唇にもついちゃった」
  郁は反省の色なんて一つもない確信犯の笑みを浮かべて、
 「チョコを粗末にしたらいけないんだったよね」
  まるで悪魔のように囁く。
 「そのチョコ、僕に食べられるのと、月子が僕の指ごと食べちゃうのと……どっちがいい?」
 
 
  眼鏡の奥の瞳に射竦められ、掴まれた手をさらに強く握り直されて。
  どうやっても逃げられないと理解した私が、パニクった頭のまま思い切った行動に出てしまうまで――あと十二秒。
 
 
 
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  いや何かこうメガネは基本的にいかがわしくしないといけない、みたいな思い込みというか刷り込み的な何かが働きました、反省を割愛して全力で土下座。