lucky bastard
2011年5月3日SCC20にて、無料配布していた誰得冬本から再掲。
会長ベストED後の会長と哉太話。
夜の法律事務所に残っているのは不知火一人だった。
舞い込んできた厄介な案件とスケジュールそのものを詰め込んだおかげで、今日は徹夜が確定している。
夕方すぎに妻へその旨をメールしたところ、「無理しすぎないでくださいね」と返信があった。
そのため不知火は仮眠を視野に入れて資料との格闘を続けていたが、日付も変わっていない現時点で、既に仮眠は努力目標となりつつある。
資料に目を走らせながら、愛用のマグカップを口元で傾け、
「……っと」
その中身が空だったことに気付いたのは、三回ほどマグを傾け直した後だ。
苦笑を浮かべた不知火は資料の束を机に置き、コーヒーを淹れようと席を立つ。
――コンコン。
事務所の扉をノックする音が、給湯コーナーへ向かおうとする不知火の足を止めた。
時刻は既に夜半過ぎで、当然事務所の営業時間も終了している。扉には「CLOSED」の札だって出してあるはずだった。
「……?」
怪訝に思ったものの、事務所の灯りは煌々と点いているわけだから、外から見れば誰か事務所内に残っているのは明白だ。
客ではないにしても、中にいる人間に用事があるのだろうから、応対しないわけにはいかないだろう。
不知火はカップを手近なキャビネの上へ置き、何の返事もせず事務所のドアへと歩いていく。
扉越しに気配を窺うと、まだ相手はその場に居るようだった。
施錠を外し、不知火は――相手は客ではないのだろうから――ぞんざいにドアを開ける。
「はいはい、どちらさま……って」
開けたドアの先に、彼の見知った顔があった。
その表情は随分と固い。廊下の照明が落ちていて薄暗いせいで、そう見えただけかもしれなかったが。
「……七海」
「夜分遅くにすみません」
七海と呼ばれた相手はやはり固い声で失礼を詫び、しっかりと頭を下げた。
「別に構わないさ。まあ、入れよ。ちょうどコーヒー淹れるところだったんだ」
「……はい」
返事も表情も固いままの高校時代の後輩を招き入れ、不知火は事務所の扉を閉じた。
「ほらよ」
「どうも」
客用のカップとソーサーではなく、ただの紙コップに注いだそれを渡す。
そこまで気取った仲でもないというのと、後は単純にカップを出してくるのが面倒だっただけだ。
応接コーナーに腰を下ろした七海は一口コーヒーに口をつけて、それをテーブルの上に静かに置いた。
「……不知火先輩」
「何だ」
七海はひどく畏まった様子だった。
学生の頃から七海に慕われていた不知火だったが、今はそのときとはまた別の畏まり方をしている、そう感じた。
「今日は、これを渡しに来ました」
七海は来た時から携えていた茶封筒をゆっくりと差し出した。
そこそこ厚みのあるそれを受け取った不知火は、封を開け中身を取り出す。
「これは……」
それは一冊の本だった。
シンプルな装丁の表紙には見事な星空と、本のタイトル。その横に小さく、「七海哉太天体写真集」と記されている。
「ようやく本になったので……その、よろしければもらってやってください」
「すごいじゃないか!」
不知火は素直に、率直な感想を口にした。早速写真集を開き、ページを繰っていく。
満天の夜空。その日最初に輝いた一番星。遠い地で数十年に一度しか見られない流星群。
時間と空間を切り取られた星空が、ページに写し取られている。
「へえ……うん、キレイだな」
幾度も感嘆の声をあげながら、不知火は写真集の全ページに目を通した。
キリのいいところで止めようと思っていたのだが、ページを繰る度に現れる星々に目を奪われ、気が付いた時には最後のページになっていた。
写真集を閉じると、不知火は対面の七海を真っ直ぐ見据え、告げた。
「じゃあ、これは有難く頂戴する。ありがとう、七海。というか、わざわざ悪いな」
不知火が礼を告げても、七海の表情は固いままだった。
「いえ……それに俺、不知火先輩に言わなきゃいけないことが、あって」
「ん?」
ああ、やっぱり何かあるんだな――不知火は己の直感が間違っていなかったことを再認した。というのは、七海のような態度は、不知火にはわりと見慣れたものだったからだ。
かつての生徒会長という役職、今の弁護士という職業柄、とかく人からの相談を受けるのが不知火の常だ。
得てして相談事というのは言いにくいものであって、話を切り出すためのきっかけ作りとして、まずお茶を濁そうとするのはよくあるパターンなのである。
他人から頼られることは嫌いではない――むしろ大歓迎な――不知火は、改めて七海に向き直ろうとした。
その瞬間。
「――すみませんでした!!」
応接用のソファから立ち上がった七海は、素早く脇に移動するなり、勢いよくその場で土下座をした。
これにはさすがの不知火も面食らった。
「って、どうしたんだいきなり!」
いつまで経っても地に伏せたままの七海に、不知火は声のトーンを落として告げる。
「……おい、やめてくれ七海。顔を上げろ」
ややあって、七海は半身を起こした。その顔は情けなく歪んでいたが、泣いているわけではなかった。その表情から読み取れるのはただ一つ――悔恨、だ。
不知火は何も言わずに七海を見つめた。
七海はゆっくりと視線をさ迷わせ、やがてかくりと頭を垂れる。
「俺……月子と、不知火先輩の式の時、途中で抜けてしまって」
「ああ、後で月子から聞いた。仕事で忙しかったんだろ? 来てくれただけでも十分だ」
「でも、俺……!」
宥めるような不知火の声。それに取り縋るように、七海の顔が跳ね上がる。
そうして彼の口から零れ出したのは、懺悔だ。
「……あの時はまだ、自分の中で、色々と整理がつかなくて……それで俺、せっかくの式だってのに、笑顔の一つも向けられなかった。結婚式は、一生に一度のものなのに――なのに、俺」
後悔を滲ませた声を震わせ、七海は再び土下座の姿勢を取った。
「今更謝ってどうにかなることじゃないですけど、本当にすみませんでした!」
「……」
正直に言うなら――不知火にしてみれば、何を謝られているのかよくわからなかった。
いや、まったくわからないわけではない。ただ、七海の気持ちに共感できるほどではない、というだけ。
けれど、そんな不知火にもわかることはあった。
七海が悔いているのは、自分だけにではない。
自分を通して、彼女へ悔いている――幼なじみであり、今は不知火の妻である、月子へ。
だとしたら、理解できる。
「結婚式は一生に一度のもの」という言葉だって、明らかに彼女を意識してのものだろう。
おそらく七海は、自分のせいで月子の思い出を汚してしまったのではないかと、そう思っているのだ。
(……安心しろ。そんなことはない。あいつは、微塵もそんなことを思っちゃいない。――そして、俺もだ。七海)
だが、それは全て不知火の想像にすぎない。だから、不知火はそれを口にはしなかった。
代わりに、先程と同じ言葉を繰り返す。
「顔を上げろ、七海」
随分と時間をかけて、七海がのろのろと顔を上げた。
床に膝をついたままの七海の前へ、不知火も片膝をついて目線を合わせる。
七海の顔は今にも泣き出しそうになっていた。
それが、不知火の中で古い記憶を呼び起こす。
幼い頃の七海は情けない顔ばかりしていた。時には泣いてすらいた――月子を守れない、と。
だから不知火は、彼に教えることにした。
大層なことを教えたわけではない。ただ単純な、ケンカをするときの基本を叩き込んでやった、それだけのことだ。
幼い七海は努力をして、見違えるように強くなった。七海が不知火を慕うようになったのはそれからだ。
それは、あの場に居た全員に傷を残した事件から数年後、星月学園で再会してからも変わらなかった。
いっそ過剰なまでに、七海は不知火を尊敬し続けていた。
(……お前の信頼を裏切ったのは、俺の方だ)
不知火は思わず謝罪を口にしかけて――直前で、別の言葉にすり替えることに成功する。
「ありがとな、七海」
「……っし、不知火、せんぱ……っ」
ぐず、ととうとう鼻をすすりだした七海に苦笑しながら、不知火は先に立ち上がった。
「ほら、いつまでもそんな体勢してないでくれ」
不知火が差し出した手を、七海はワンテンポ遅れて掴む。
よっ、という不知火のかけ声と共に、引っ張り上げられた七海が立ち上がった。
「よし。じゃあそこ座れ」
大人しく従った七海の対面に、同じく不知火も腰を下ろす。
そして――話そうとした内容に、不知火は一度決まり悪そうに目を逸らした。
きっちり五秒の後、不知火は七海の目を真っ直ぐ見つめて、口を開く。
「……正直な話、俺は、お前達に祝ってもらえる資格があるとは思ってない」
七海の目が大きく見開かれたが、言葉はなかった。
「それだけのことをしたんだ、俺は。むしろ、殴られたっておかしくないと思ってる」
「……そんな」
「実を言うとな、あの場で殴られるぐらいの覚悟を持って臨んだんだぜ? あの日は」
当時の心境を思い出し、キリリと胃が痛むような気がして知らず不知火は腹に手をやった。
殴られることは怖くなかった。そうなることも当然だと思っていたし、むしろそうなるべきだと思っていた。
ただ、もしそうなったとして、月子にうまく隠し通せるかどうかは怪しかった。
そのことだけが気がかりで、胃を痛めた。
(――そう、俺だって同じだよ、七海。月子に少しでも嫌な思いをさせるんじゃないかって、気が気じゃなかった)
ひとまずの告白を終え、不知火はだらしなくソファにもたれて、天井を見上げた。
「……一応、月子には釘を刺してたんだ」
告解の続きを口にしながら、不知火はすっと目を細めた。
「近付きすぎてるって気付いてたからな。だから……遠ざけた。遠ざけようとしたんだ」
急に言い出した話に、相手はついてきているだろうか。
けれど今更、何のどういう話かを説明する気にもならない。
「だってのにあいつ、逆に迫って来やがった」
だから不知火はそのまま続けた。
当時の――星月学園で再会した、大切な少女の話を。
「本当なら、俺はそれをはね除けないといけなかったのにな。……結果として、あのことまで思い出させて」
それは月子にとって、本当に辛い記憶のはずだった。
例え本人が大丈夫と言ったとしても、彼女の心に大きな傷を残していることに変わりはない。
現に今だって、彼女は極端に暗闇への恐怖を抱いている。
それは不知火と関わらなければ起こりえなかった事象だ。
「……だから、俺はお前達に殴られてもおかしくないと思ってる」
達、と複数形なのは、七海の他にもう一人、月子を大事に思っている幼なじみがいるからである。
彼の方こそ、むしろ殴りかかってくるのではないかと思っていたのだが、式での彼は終始笑顔を絶やさずに居た。
逆にそれが恐ろしかったとは、口が裂けても言えないことだが。
「……あいつらしい」
ぼそりとした呟きに、思考と記憶の海に沈みかけていた不知火が、ソファの背に置いていた頭の位置を元に戻す。
先程まで情けなく顔を歪めていた七海が、小さく笑っていた。
「あいつ、昔っからそうなんですよ。人が突っぱねようとすると逆に向かってくるんです。天の邪鬼にも程があります」
そこで、七海の笑みが不自然に固まった。
それはゆっくりとひび割れていき、崩壊する直前、がくりと首が折られる。
「……だから……俺にはそれを……あいつが選んだものを、否定する権利なんて、ないんです」
見えなくなった表情がどうなっているのか――また泣きそうになっているのだろうと、不知火はその震えた声から類推した。
けれど、不知火の予想は外れていた。
「――不知火先輩」
上がった七海の顔には、どこにも涙の欠片もなかった。
そこにあったのは、どこまでも真剣な表情、ただそれだけ。
「あいつ、ほんと、幼なじみの俺達でも手を焼くようなお転婆だけど、……どうか、よろしくお願いします」
言って、七海が頭を下げる。
これはきっと、本来なら、あの式の日に交わすはずだった言葉なのだろう。
「……ああ」
だから不知火はただ、深く頷いて了承した。
やがて頭を上げた七海は照れ臭そうにしていたが、その顔からは憑き物が落ちたように柔らかなものになっていた。
と、ふと思いついた不知火はこう言った。
「そうだ七海。サインしてくれよ」
「は?」
不知火は脇に置いておいた写真集を手に取り、七海へと差し出す。
「これに。ほら」
七海が受け取らないのでひとまずテーブルの上へ本を置き、不知火は近くのデスクから適当にペンを拝借してきた。
「サイン……って、ま、待ってください、俺そんなの持ってないですし!」
「別に芸能人みたいなのを書けってわけじゃない。普通に名前書けばそれでサインだろ」
言って、不知火はペンを差し出した。
「い、いや、でも……」
「せっかくのお前の初の写真集なんだ。どうせ献本してくれるならサイン本にしてくれ」
「……」
なおも渋り気味の七海に、不知火は仕方なく奥の手を使うことにした。
「それに、その方がきっと月子も喜ぶ」
僅かな逡巡の後、七海は差し出されていたペンを手に取った。
「……わかりました」
写真集を開き、写真が掲載されていない奥付のページに、七海は普通に自身の名前を書いた。
それほど上手くもない字が、きゅっきゅっと紙面に記されていく。
それはまるで、互いに懺悔した記念の――もしくは証文の――ように、確かにそこに刻まれた。
書き終えた七海は本を閉じ、ペンと共に本を差し出した。
「じゃあ、これで」
「おう、ありがとな。大事にさせてもらう」
不知火はそれを受け取り、早々にソファから立ち上がった七海に声をかけた。
「七海、これから時間あるか? あるなら食事でも」
「あ、いえ、すみません。今夜の便で次の現場に向かうので」
「そうなのか? って、時間は大丈夫なのか」
「はい、今から出れば間に合います」
「そうか……悪いな、忙しいとこにわざわざ」
「いえ、こちらこそ本当に……ありがとうございました」
七海はきっちり四十五度で頭を下げた。
***
事務所を出たところでタクシーを捕まえ、空港へと向かう七海を見送った不知火は、一人事務所へと戻ってきた。
しんと静まりかえった室内を見渡し、ポケットから携帯を取り出す。
登録済みのボタンを押し、携帯を耳にあてた。数回のコール音の後、相手に繋がる。
「もしもし」
「ああ、俺だ。悪い、寝てたか?」
「いえ、まだ起きてました。どうかしたんですか?」
聞こえてくる優しい声色に、不知火は自然と目を閉じた。脳裏に相手の姿を思い描きながら、思ったままを口にする。
「いや……お前の声が聞きたくなったんでな」
「な、何ですか急に! ……大丈夫ですか?」
電話の向こうから、予想通りの慌てた風な声が返ってくる。続いて、こちらは予想していなかった、気遣わしげな声。
実際に心配されるようなことは何もないので、不知火はきっぱりと否定した。
「ああ、平気だよ。メールした通り今日は帰れないが、明日はそう遅くならないうちに帰るから」
「はい」
「あーそれと、お前が喜びそうな土産があるから楽しみにしとけよ」
「お土産……ですか?」
「そうだ。ま、明日帰ってからのお楽しみだ。だから……待っててくれ」
「……はい、わかりました。待ってますね」
従順な妻に、不知火は口元が緩むのを知覚する。そうして――耐えきれずに、その名を呼んだ。
「――なあ、月子」
「はい。何ですか、一樹さん」
当たり前のように返された言葉に、不知火は深く息を吐いた。
「……本当、俺は果報者だな」
「どうしたんですか?」
唐突な話題にだろう、尋ねてくる声音が僅かに不安を帯びた。
下手な心配をされても困るので、不知火は即座に否定しておく。
「どうもしない」
「……一樹さんが果報者って言うなら、私はどうなるんですか」
「……どうなるっていうんだ?」
妻の返答が予想できず、不知火は素朴な疑問のつもりで聞き返した。
「毎日が幸せすぎて、怖いくらいです」
電話口の向こうで、何かを噛み締めるように――月子はそう答えた。
一瞬、目頭が熱くなった気がしたが、不知火はそれを振り払うように頭を振り、小さく笑った。
「それは俺も同意だ」
「一樹さん、本当に無理はしないで下さいね」
「ああ、わかってる。お前もな」
「はい」
電話を切り、不知火は再び大きく息を吐いた。
「……本当に、果報者だよ、俺は」
自分のしてきた選択が間違っているとは思わない。
不知火はそう思うことで生きてきた。己を奮い立たせてきた。
そのことが今夜、ほんの少しだけ報われたような気がして――そのことが有難くて、この気持ちを誰かに伝えたくて。
そうして今、通話ボタンを押したことで、さらに救われて。
(いつだって、俺を救ってくれるのは……お前なんだな)
目を閉じれば、幼い頃から今に至るまで、手を差し伸べてくれた彼女の姿が、連綿と思い浮かぶ。
「……よし。明日さっさと帰るためにも、頑張るとするか」
携帯をポケットに戻し、不知火は机に置いた資料の束を手に取った。
予定外のタイムロスがあったものの、やってやれないことはない。
結果、不知火は仮眠の一つもなく朝を迎えたが、その日の帰宅時間はそう遅くはならなかったのだとか。
----------------
冬PC版をやっていて仮にもこれ会長のベストEDのスチルだってのにその後味がアレゲすぎる背景はどういうことだいいのかそれでいいのかハニビぃぃいいいいいい!!
とかそのあたりをこう、哉太スキー的にどうこうしてやりたいなーとか色々夢を見たらごらんの有様だよ!
にしてもこういうアレゲな背景みたいなのも割愛せずにしれっとやらかしちゃうハニビ様まじかっけえ。
ほんと惚れ直したよね。