meganebu

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とある俗説の検証作業

ラヴコレ2016にて無料配布していたペーパーです。
ハルルート担当ライターさんは最高すぎると思うんだ。

 

 

 ボート小屋で繋いだ手を離したのは、石ころ寮まで戻ったあたりだった。
 あの人が手を差し出してきたのは、ただ一緒に行こうと誘っただけ。もちろん、こっちもそのつもりで彼女の手を握った。
 けれど、細くて柔らかなその手はひどく温かくて、どうにも離しがたくなってしまった。
 だからそのまま、彼女の手を引く形で歩き出した。
 そうして小屋を出てから寮に到着するまで、誰にも会うことはなかった。
 人影でも見かけたらそれを理由に離そうとは思っていたけれど、この学園では授業をサボる奴の方が珍しい。
 だから結局、寮の前まで手は繋いだままだった。
 そして、手を離しても彼女は何も言わなかったし、顔色も変えたりしなかった。
 ただずっと、にこにこと嬉しそうな笑顔だけがそこにあった。
「この時間だと、寮長先生がいるかもね」
「あ、そうか。じゃあ、見つからないようにしないと……」
 彼女はそう言うと、抜き足差し足、みたいなジェスチャーを始めた。この人はいちいち動きが面白いから見ていたかったけれど、そうゆっくりしているわけにもいかない。
「別にいいんじゃない。こそこそしてるより、堂々としてた方が怪しまれない気がするし」
「なるほど……」
 一理あるね、と面白モーションを止めた彼女が頷く。それから少し考えるような素振りをして、こう言った。
「それじゃあ、濡れた靴をはきかえたら、そこの植え込みのところに集合。……で、どうかな」
 寮の中で待ち合わせると、今度は寮長先生に見つかる可能性が高くなる。わかったと素直に頷いて、俺たちはそれぞれの部屋へ向かった。
 部屋に戻り、濡れた靴を脱ぐ。
 次に、肌に張り付く生乾きの靴下を苦心して脱ぎ取った。
 そうして替えの靴下に足を通しながら、ぼんやりと思う。
(二人で授業さぼってケーキ食べに行くとか……まるでデートだよね)
 デート。
 自分で言っておきながら、少しだけどきりとする。
 けれど、先ほどの笑顔とその単語は、何一つとして結びつく気がしなかった。
(そもそもお祝いって……テストで満点取った小学生が親から貰うご褒美みたいなんだけど)
 実際、彼女はそういうノリなのだろう。
 もちろん嬉しくないわけはない。
 ケーキを食べられるのも、彼女に祝ってもらうのも、心を躍らせるには十分だった。
 けれど。
「……はぁ」
 思わず溜め息が漏れた。
(まあ、期待するだけ無駄か)
 脳裏に浮かぶのは、つい数分前の別れ際の笑顔。
(お祝いの方がついでなんじゃないかってくらい、ケーキのことで頭がいっぱいって感じ)
 どんだけ楽しみなんだよ、と今度は苦笑が漏れた。
 藤枝ネリ。一つ年上のくせにかなり間の抜けてる先輩。
 何でかわかんないけど、俺のことを色々気に掛けてくれて――事あるごとに手助けしてくれる。
 打算もなく人に優しくする、ということを当たり前にやってのける彼女に、自分はあまりにも世話になりすぎていて。
 今や自分の中では、「お人好し」とか「親切な先輩」なんて括りに収まりきらない、大切な存在となってしまっていた。
(普通に考えて、好きでもない奴にここまでしないだろうけど)
 ただその「好き」の度合いが、精神的に不安定な後輩を放っておけないだけなのか、それとも別の感情があるのか、未だに測りかねている。
 というか、十中八九そんな感情はない気はしている。そして、ないならないで、持たせればいいとも思う。
 それくらいのことを彼女はしたのだ。自覚も無しに。
(ほんっと、迷惑)
 何せ、彼女曰く俺は「大事な友達」で、今では「ずっと側にいたから他人事って感じがしない」そうだし。
 つらつらと考えながら、靴下をはき終えた。替えの靴を取り出し、足を突っ込む。
(……まあでも、確認しといて損はない、かな)
 とんとんとつま先で床を突き、具合を整えながら部屋を出た。


***


 時間帯のせいもあってか、ダブルベリーはいつもと比べて閑散としていた。
 下手に騒がれなくて済みそうだと考えながら二人で席に着いた。
 メニューを開いて、お祝いの品となるものを吟味していく。
 その中に、気にはなるけどそこまでするのはちょっと、といつも候補から外していたものが目に留まった。
 それは他のケーキと比べてサイズが大きく、数人でつついて食べることを想定されたものだ。というか多分、カップルが二人で食べる用なんだと思う。
 甘い物は好きだし、十矢に夕飯を半分あげれば一人でも食べられそう、くらいには思っていた。ただ、そんな真似をすれば悪目立ちして、暇な薔薇に絡んで下さいと言っているようなものだ。
 そこへ、ハルくんはどうする?と声がかかる。丁度良い機会だと、そのケーキを指し示した。
 彼女の反応は上々だった。けれどすぐ、これが一人分ではないことを指摘してくる。
「二人で食べるに決まってるじゃん。だからあんたの意見を聞いたんだよ」
 この人が「他の人が口をつけたものなんて食べられない」、とかいう潔癖症なわけないし。だから、好みさえ合致すればすぐ了承が得られるものと思っていた。
 ところが。
「で、でも、二人で一つのケーキを食べてるのって、その……」
「何?」
「なんか、付き合ってるみたいっていうか……そんな感じに見られない?」
(……へえ)
 少し驚いて、そこそこ安心した。一応そういう感性は持ってるんだ。
 正直、俺のことなんて女友達と同じ感覚なんだろうなと思っていた。見た目が男っぽくないとか、そういうアレで。
 元々彼女にとってのこれは、ただのお祝いでしかない。
 でも俺にとってのこれは、お祝いでもあると同時に、デートまがいの何かでもある。
 程度はどうあれ、自分たちの間には確実な齟齬があるのだ。
 よって、ここで意識の摺り合わせをしておくに越したことはない。思わせぶりに彼女から視線を外してから、ぼそりと告げる。
「見られるかもね。それ狙ってるし」
「そ、それ狙ってるし? え?」
(自分で言っておいて、そこは他人事なんだ。……まあいいけど)
 少なくとも、この人にとっての俺はそういうことを意識できるような相手に入る、ってことがわかっただけでも収穫だ。
 仮に、俺が恋愛の対象外だったとしたら、この人はもっと違う反応をしたと思うから。
 気をよくした俺は、ケーキが来るまでの間、この人をからかって待つことにした。この人は何でも真に受けて、その上いい反応をしてくれるから、ほんと飽きない。
 そのうちケーキが運ばれてきた。
 遠慮なく食べ始める俺と、さっきからかった内容を気にしているのか二の腕を押さえたまま動けずにいるミニブタ先輩候補。
(……そんな気にするほどじゃないと思うけど)
 それに、少しくらいふくよかでもこの人なら愛嬌あるしいいと思う。
 やがて割り切ったのか、彼女がフォークを手に取った。
「ま、毎日食べるわけじゃないから、大丈夫ってことにしたの」
 それ一番ダメなパターンの言い訳だと思うけど。
 そう思ったけれど、口には出さずにおいた。マカロンを一つ頬張っただけの、未来のミニブタ先輩の顔がこの上なく幸せに満ち満ちていたから。

 ――人の幸せも一緒になって喜べるって、なんかお得な感じしない?

(……そうかもね)
 俺は適度にからかいの言葉を述べつつ、しばし二倍のお得感に浸ることにした。


***


 ――女子の二の腕の感触は胸を触ったときのそれに酷似している。
 そんな俗説を耳にしたのは、本土に戻ってからのことだ。

「そういえばさ、知ってる?」
 彼女の部屋でくつろぎながら、半ば手癖でミニブタ先輩の成長具合を確認しつつ、何気なく聞いてみる。
「何を?」
「女の人の二の腕の感触って、胸を触ったときと同じだって話」
「!?」
 瞬間、ぷにぷにと無遠慮に触りまくっていた俺の手が振り払われる。
 顔を真っ赤にして、胸を隠すように二の腕をクロスさせて、ぱくぱくと口だけを動かす――今のところまだミニブタにはなっていない先輩。
 ……うん、予想通りのいい反応。見ていてすごく面白い。
「……っ、は、ハルくん」
 打ち上げられた魚はようやく呼吸の仕方を思い出したらしい。
「うん、何?」
 顔は未だに真っ赤なまま、困ったというよりは変に神妙そうな表情を浮かべた彼女は、開きかけた口を一度閉じてから、意を決したように言った。
「――触り、たいの?」
 自分がしたのと同じに、意図的に目的語を省いた問いかけ。
 頭が真っ白になる。
 ただそれはほんの一秒程度のことで、すぐにどんな反応を返したら一番面白い様が見られるか、という思考に切り替わった。
「そうだって言ったら、触らせてくれんの?」
 殊更興味なさそうな声を作って、質問で返す。
「そ、それは……」
 途端、勢いをなくしてもごもごと言い淀まれる。
 なんだ、勢いでいいよとか言うかと思ったのに意外とガード堅いんだ。つまんないの。
「その気が無いならそういうこと聞かないでくれる?」
 ぞんざいに返して、話を切り上げようとしたその時だ。
「は、ハルくんがどうしてもっていうなら」
 俯きがちに、どんどんと声を小さくしながら告げてくる先輩。表情は見えなくなったけれど、髪の中から覗く耳はかなり赤い。
(……はぁ)
 また真に受けて馬鹿なことをしようとしてる人が居る。
「どうしても触りたい」
 思いっきり棒読みで宣言してやると、うっ、と小さく呻くのが聞こえてくる。
(ほらやっぱり。触られる覚悟なんてないんじゃん)
 だったら言わなきゃいいのに。
 でも言ったことには責任を持って貰わないと。先輩として示しがつかないと思うし。
 これは後輩としての優しさだと思いながら、うつむいたままフリーズしてる先輩の肩に手を置いてみた。途端、びくりと震えられる。
(……ちょっと傷付くんだけど)
 彼女の体はがちがちに固まっていて、明らかに触られたくないという思いが伝わってくる。
 何だか気がそがれてきてしまった。
「……嫌ならそんなこと言わなきゃいいのに」
 さっと手を離す。
 何だか自分が馬鹿みたいに思えてきた。いつしか小声で、馬鹿じゃないのと思ったままが口を突く。
「――ち、違うよ!」
 石化の魔法が解けたかのように、彼女が急に動き出した。
 ちらりと顔だけで振り返ると、目が合うなり怯まれはしたものの、言葉を続けてくる。
「っい、嫌じゃないよ」
 そんなこと、口だけなら何とでも言える。彼女の真意を見極めようと、じっと瞳を見つめ返した。
「……ハルくんに触られるのは、嫌じゃない」
「さっきすごい嫌そうだったけど」
「それは、その……緊張して」
 しどろもどろと言葉を濁しながら、伏し目がちに小さく続けてくる。
「……それに、恥ずかしいし……」
 思わず言葉を失った。
 ここで急に可愛らしく恥じらってみせるとか、すごい卑怯。
 普段、照れて顔を赤らめたりするのとはどこか違う。なんというかこう、つい衝動に身を任せたくなるような。しないけど。
(調子狂う……)
 もし、触ったら――どうなるのだろうか。
 柔らかいのだろうか。多分そうなんだとは思う。
 この人が抱きついてきた時の感触からいって、それは間違いなさそうで。
(じゃあ、この人は?)
 触られた側は、どんな反応をするのか。興味が湧いた。知的探求心とか、そういう部類のものが。
「……触っていい?」
「う……うん。ど、どうぞ」
 彼女は両手を背中側で組むと、胸を突き出すような姿勢を取った。抵抗はしない、という意思表示なのだろう。
 ただよほど恥ずかしいのか、その両目はきつく閉じられている。
(……はぁ)
 正当な許可は取った。けれど、結局嫌がられている感は拭えない。こんな萎えた気分で触ったところで、何の面白味も感じられそうになかった。だから、
「……っ、え?」
「うん、ぷにぷに」
 俺は伸ばした手で、遠慮なく彼女の二の腕を摘んでいた。ぐにぐにと具合を確かめるように、大胆に指先を動かしていく。
「これが胸の感触ってことなら、もうちょっと太らせた方がいいかもね」
「なっ……」
「俺、『どこを』触っていいか、とは聞かなかったよね。もしかして、本当に触って欲しかった?」
 余裕たっぷりに、胸元を指し示しながら告げてやる。
 すると、顔を真っ赤にした彼女は、もう知らないとそっぽを向いてしまった。
「そんな怒らなくても。あ、じゃあお詫びにケーキ買ってあげる」
「……それで太らせるの?」
「わかってるじゃん、ミニブタ先輩」
 まだミニブタじゃないです、とさらに頬を膨らませながらも、その表情は随分と柔らかくなっていて。
 相変わらず単純で現金な先輩だった。
(まあでも、……そういうとこも可愛いよね)
 本物の感触がどんなものなのか、その時の彼女がどんな反応をするのか――それを確認するのは、今でなくてもいい。
 というか、今の自分にはその資格がないのかもしれない。
 何せ現時点の自分は、絵を勉強しているだけのフリーターだ。彼女を養うどころの話じゃない。
 おかげで彼女の実の祖父は俺に会うことも拒否しているし、もちろん交際を認めるつもりもないらしい。
(だから、周囲からちゃんと認めてもらえるようになるまで……お預け、ってことにしとく)
「……ハルくん。いつまで触ってるの」
「俺の気が済むまで」
 今はとりあえず、ミニブタには遠そうなこの二の腕で満足しておくことにしよう。



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ハルがネリさんの二の腕をしれっと触った時点でこの俗説しか思い浮かばず前のめった(後に冷静に座り直した)のは私だけでいい。
同棲後のえろい話に続いていたかもしれなかったですが時間がなかったので無配で失礼しました。ハルネリに幸あれ。