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姫王のエドリックエンドその後的な何か。
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「エドリック」
「はい」
名を呼ばれた執事が恭しく跪いたのは、年端も行かない少女の前。
だがその少女には、その幼い外見にそぐわない圧倒的な存在感があった。
芯の通った幼い声が、室内に響き渡る。
「今日、お前を呼んだ理由はわかるな?」
「……はい。ヴィヴィアン様」
顔を上げたエドリックは、その顔に柔和な笑みを浮かべていた。そして、主を見つめるその瞳には、迷いは一つも存在していない。
少女は満足そうに頷くと、幼い彼女に合わせて設えたイスから立ち上がった。
「――エドリック」
そうして、その声と瞳だけで――彼に何をすべきかを告げ、訴え、求めた。
「はい」
エドリックも短い返事を返すのみで、当たり前のように行動に移る。
ゆっくりと、ヴィヴィアンの小さな手を取る。
「ヴィヴィアン様。……この日が来ることを、心待ちにしておりました。そして、お待たせして申し訳ありません」
頭を下げたエドリックは、そのまま手袋をしていない甲へそっと口付けた。
「愛しています」
「うん」
頬を薔薇色に染めた少女が、嬉しそうに、大仰に頷いた。
「我が騎士エドリック。お前を、私が生涯愛する者と認めよう」
ヴィヴィアンは、エドリックが取ったままの手を握って上へと引いた。それに合わせて、エドリックが立ち上がる。
そうして向き合えば、大人と子供の背丈の差が否応なく示された。
六歳になったばかりのヴィヴィアンでは、首を上向かせなければエドリックの顔を見ることもできない。
「……本当に、待たされた」
だからエドリックは膝を折り、未だ少女の域を出ることのない最愛の相手と目線を合わせた。
「はい。……本当に、申し訳ありません」
「まったくだ」
僅かに頬を膨らませ、不服そうに呟いたヴィヴィアンは、やがてその表情を笑顔へと変えた。
但し――擬音にするなら、にんまり、といった風な、やや嫌らしげな笑みに。
「なあ、エドリック」
「はい」
「今のお前を傍から見ると、どうしようもないペドフィリアだな」
メイド長さながらのドSな発言に、けれどエドリックは表情一つ変えることなく答える。
「そうかもしれませんね」
「……つまらん」
「申し訳ありません」
再び頭を垂れたエドリックに、ヴィヴィアンは隠すことなくため息をついた。
「待ち望んだこととはいえ、お前が一つも動揺しないというのはつまらん」
「……その方が、よろしいのですか?」
「当たり前だ。かといって、故意に動揺されたのでは興醒めだ」
そんな演技をしてくれるなよ、と釘を刺すヴィヴィアンに、顔を上げたエドリックは視線だけで応えた。わかっております、と。
「まあいい」
そこで話を打ち切ったかに見えたヴィヴィアンだったが、無論そんなことはない。
エドリックもそのあたりは把握済みであり、何の気を抜くこともなく、完璧な執事としてそこに在り続けていた。
――次の主の言葉を聞くまでは。
「ところでエドリック。お前、これまでに女は抱いたか?」
「――は?」
あらゆる意味で予想外の言葉に、エドリックはともすれば裏返りそうな間の抜けた声をあげてしまった。
いい反応だ、とばかりにヴィヴィアンの目が輝く。
「なんだ、ないのか」
ヴィヴィアンは肩を竦め、お前には心底ガッカリした、とその目だけで語る。
主の意図は、自分を動揺させることにあり、おそらくは深い意味などない――そう判断したエドリックは、ややずれた眼鏡の位置を直してから、いつも通りの落ち着き払った声で答えた。
「……そのようなことをするわけがないでしょう。先程申し上げた言葉には、一つとして嘘偽りはございません」
真摯な瞳を向けられ、ヴィヴィアンが苦笑した。
「わかっているさ。私は、お前のそういう所を疑ったりはしない。……というか、そこはもっと怒ってもいい所じゃないのか?」
失礼なことを言ってきた本人が、もっと怒れと不服を申し立てている。
主が気ままで自由すぎるのは嫌というほど理解しているエドリックだったが、さすがに理不尽だと思わずにはいられなかった。当然ながら、それを外に出すような真似はしない。
「……というか、さっきの発言には、ちゃんと理由があるんだぞ?」
「え」
エドリックが思わず呟くと、ヴィヴィアンはやっぱりか、という目でじろりと睨んだ。
「エドリック。お前、生娘を抱いたことはないよな?」
「……ええ。そうなります」
私には生涯貴方だけなのですから――ともすれば主の言葉に反発するような物言いは、心の中だけで続ける。
が、エドリックの努力も虚しく、それは顔に出てしまっていた。否、ヴィヴィアンが勝手に読み取った。彼の所作、表情、雰囲気――その全てから。
「わかったわかった」
ひらひらと手を振ったヴィヴィアンの顔に浮かんでいるのは、やはり苦笑だった。
「そうだなあ。お前には想像もつかなかったか」
「ヴィヴィアン、様?」
怪訝そうに尋ねてくるエドリックに、ヴィヴィアンは珍しく頬などを染めながら――但し外見は六歳の少女なので、普通に可愛らしいだけだったのだが――ぼそぼそと告げる。
「その……さすがに、今回ばかりはティーズに頼むわけにもいかんだろうと思ってな」
「え……あ、っ」
「ようやく気付いたか。馬鹿者」
僅かな狼狽えを見せたエドリックに口の端を歪めながら、ヴィヴィアン。
「私としても、初めてを愛する者に捧げる、ということに関して異論はない。……だが、不慣れな者に身を任せるのは些か不安というか、――正直痛いのは嫌だ」
口を尖らせて、ぶっちゃけた話を語る六歳児。それを前に言葉もない、というか告げるべき言葉を持たない執事(三十路前)が一人。
「というか毎回痛い。何であんな痛いんだ。こっちは何度やってると思って――」
「ヴィ……ヴィヴィアン様!」
これ以上は聞いていられないと、エドリックは悲鳴にも似た声で主の名を叫んだ。
「なんだ?」
「あ……いえ、その」
こんなものか、と。
途端に口籠もってしまった執事に、ヴィヴィアンは軽い失望を覚えながら、そっぽを向いて呟いた。
「まあ、お前がティーズに任せてもいいと言うのなら私としてもそうすることに吝かではないが」
「ヴィ、ヴィヴィアン様!!」
「……なんだ?」
繰り返される応答。呼びかける方はより焦りを見せて、答える方はより呆れを含んで。
だが、ヴィヴィアンその眼差しに、僅かな期待を孕ませていた。
「お……恐れながら、未熟者であることは自覚しておりますが、……その」
「回りくどい。はっきり言え」
口籠もりがちなエドリックに、ヴィヴィアンはその声に、はっきりと嫌悪の感情を乗せた。
「あなたに、不快な思いをさせてしまうかもしれません。ですが、……できましたら、そのお役目は、……私に、と……」
その言葉は、エドリックにしては珍しく、まるで新人執事のようなつっかえぶりだった。
「ふむ……不合格」
「えっ」
「はっきり言えと言っただろう」
「……申し訳ありません」
己の失敗を悟り、エドリックは深く頭を垂れた。
彼の主は本当に気ままで、自由だ。
愛する者を誰か一人に決めたところで、元来の思考はとかく奔放だ。貞操観念も含めて。
今回も、これまでと同じく、彼女の貞操は褐色の料理長によって散らされてしまうのだろう――許しがたい未来に、エドリックは強く拳を握りしめた。
「……まあいい。エドリック、いつまでそうしている」
「……は」
言われて頭を上げたエドリックだったが、目の前の主を直視することができず、静かに目を伏せた。
そして、己の不甲斐なさと、その悔しさに打ち震える。
「ま、どんなに早くても、あと5,6年はあるか」
もう二度とこんな真似はしまいと思ったのに。
下手をすれば唯一であった機会を逃そうとしているのだから、当然だった。
「それだけあれば、準備には十分すぎるよなあ、エドリック?」
「……ぇ、っ?」
主はもう自分を見放していて、話している内容も自分とは無関係のものだろう。そう思って半ば聞き流していたエドリックが、驚きに顔を歪める。
ヴィヴィアンは、この上なく満足そうに微笑んだ。
「それだそれ。それが見たかった。……ふふ、エドリック、私はお前のそういうところも好きだぞ?」
「え、あ……は、はあ。……あ、あの、ヴィヴィアン様……」
「なんだ。全部私に言わせたいのか? こんな幼い子供の私に? どれだけ好き者になったんだ、エドリック」
「いっ、いえ、そういうわけでは……」
もう完璧な執事も形無しだった。あっはは、とヴィヴィアンが声をあげて笑った。
「そういうわけだから、エドリック。その時までに、しっかり私を満足させられるようになっておけよ?」
くすり――と浮かべた微笑みには、六歳児には不釣り合いな妖艶さが伴う。
「……はい」
「ああ、それと――寄る年波にもな?」
ぐ、と言葉に詰まってしまったエドリックに、ヴィヴィアンは年相応にけらけらと笑った。
「まあ、私のストライクゾーンはわりと広い。その辺は安心していいぞ。――但し、役立たずでなければ、の話だがな」
「っ……は、はっ」
幼い少女の口から紡がれる、そこそこ下品な言葉の応酬に、エドリックは姿勢を正して応じた。
「ふふ。楽しみにしているぞ、エドリック」
そのドSに塗れた微笑みさえも、魅力的に見えてしまうのだから――どうしようもない。
エドリックはそんな己の運命を呪うことなく、ただあるがままを受け入れる。何故なら、彼女の望むままに生きるのが彼の幸せだからだ。
ただ、彼には人としての貞操観念というものがある。
それを越えることなく、主の要望を満たすためにはどうしたらいいのか。
彼の新たなる課題は、途方もない難易度をもって彼を待ち受けているのであった。
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愛の言葉云々はもっととんでもない感動巨編にすべきだろうとは思っていた。いたけれども色々追いつかなかった土下座。
ヴィヴィアンたま六歳、については特に深く考えずにやりましたサーセン。