meganebu

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duty and sympathy

ラヴコレ2013で無料配布していた華アワセペーパーの小話です。

蛟ED後のバレンタイン話だけどみことたんが義理チョコ配り歩いてるだけとかいう、わりとっていうかかなり誰得な代物ですご注意ください。

 

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 部屋に招き入れた少女が差し出してきた包みを前に、百歳は歓声をあげた。
「まあっ、ミューズ! これはもしかしなくても、チョコレートですの? それも手作りの!」
「はい。百歳さんにはいつもお世話になってばかりですし、よろしかったら」
「もちろんいただきますわ! 開けてもよろしくて?」
 はにかむような笑顔で頷く「ミューズ」ことみことに、百歳は可愛らしくラッピングされたそれを丁寧に開いた。
 中から出てきた正方形の箱を開けると、中には丸形のチョコレートが四つ収まっている。
「トリュフですのね! とても美味しそう……食べるのが勿体ないくらい」
「そんな、大したものではありませんから」
「いーえ。ミューズの手作りというだけで一級の価値がありましてよ」
 ほう、と感嘆の溜め息を漏らしつつ、百歳は摘んだトリュフを矯めつ眇めつしてから、そっと口の中へと運んだ。
「……ん、とても美味しいですわ。ありがとうございます、みことさん」
「いえ、お口に合ったようで良かったです」
 みことは嬉しそうに応じ、腕に提げている袋からさらに二つの包みを取り出した。
 そして、お茶の準備を終え百歳の後方に控えていた二名へと声をかける。
「タネさんとカスさんも、よろしければどうぞ」
『我々にですか!』
 ぴったり揃っての唱和に、みことは再び頷いた。
「お二人にも本当にお世話になりましたし……ほんのお礼です」
 おずおずと前に出た二名は恭しく包みを受け取り、感謝の言葉をハモらせながら深々と礼をした。
「我々は幸せ者ですね、カス君……」
「果報者と言ってもいいですね、タネ君……」
 包みを大事にそうに抱え、タネカスの両名はサングラスの奥の瞳を潤ませる。
 そこへ部屋の扉が開き、長身の男が入ってきた。
「百歳。戻りました」
「ああ、いろは。ちゃんと言いつけ通りの道を通って来ましたわね?」
「はい。言われた通り人気のない道を……」
 そこで男――いろはは言葉を途切れさせた。くんくんと匂いを嗅ぐ仕草をしてから、ぽつりと呟く。
「……甘い、香り」
 鼻を打つそれを追うように、いろはの視線が移動していく。やがて百歳の傍に立つみことと目が合うと、吸い寄せられるように彼の足が前に出た。
「あの、いろはさん」
 つられる形でみことが一歩前に進む。その時点でもう、いろはは彼女のすぐ目の前まで来ていた。
「よかったら、これ、どうぞ」
 みことの手には、室内にいる三名に渡したものと同じ包みが乗せられている。
 それをじっと凝視したまま、いろはが口を開いた。
「これは」
「ミューズお手製のトリュフですわ!」
 みことが答えるより先に、百歳が強い調子で割り込む。
「トリュフ」
 ようやく顔を上げたいろはが、確認を取るようにみことを見つめた。みことも、はい、と大きく頷いてみせる。
「いただこう」
「あっ、いろは! 折角のお手製なのですから大事に――ってああっ!?」
 悲鳴をあげる百歳に、いろはは行儀良く口の中の物を全て飲み込んでから声をかけた。
「どうかしましたか」
「どうかって、どうかしてるのはあなたの方ですわ!」
「私はどうもしませんが」
「~っっ、ああもうっ、わたくしの方がどうにかなりそうでしてよ!? ミューズ手ずからのチョコレートを、それもわたくしが言ってる側から、一気に全部食べてしまうだなんて!」
「……何か問題が」
「大ありですわ!」
「あ、あの、百歳さん、落ち着いてください」
 どこまでも冷静ないろはと反比例する形で百歳がエキサイトしていく。見かねたみことが間に入ろうとするも、いいえと大きく首を振って制止を振り解き、
「落ち着いてなどいられませんわ! いいですかいろは、あなたの分はそれで終わりですのよ!」
 びしり、と百歳の人差し指がいろはの手の中を示す。
「……」
 指摘されて初めて、いろはは空になった箱に目を落とした。
 それからゆっくりと顔を上げ――鋭い視線を百歳のすぐ横にあるテーブルへと向けた。
 正確には、テーブルに置かれた四角い箱に。
「っダメですわよ! これはわたくしのです! 絶対に分けてあげたりなどいたしません! タネ、カス、あなたたちも自分達の分を死守なさい!」
『はっ!』
 百歳からの厳令に、タネとカスは素早く包みを後ろ手に隠した。その上でいろはを警戒しつつ後方へ退避し、十分すぎる程の距離を取る。
「……」
 タネとカスに眼光を光らせていたいろはが、ゆっくりと百歳に視線を戻した。
「そんな顔をしてもダメですわ。自業自得でしてよ!」
(いろはさんの表情、何も変わってないような気がするけど……百歳さんにはわかるんだ)
 凄いなあ、と純粋に感心しかけて、そんな場合ではなかったとみことは我に返った。
 あわや一触即発状態の五光のトップオブトップとその水妹の間へ、今度は実際に割って入る。
 落ち着いてください、と百歳へ繰り返してから、みことはいろはへと向き直った。
「すみません、いろはさんには量が少なかったですよね。今度また、何か甘い物をたくさん作ってきますから」
「……たくさんか」
「はい! それはもう、たくさんです!」
 みことは両の拳を握りしめ、力強く断言した。
「……」
 こくり。
 表情を変えず――少なくともみことにはそう見えた――いろはが頷く。
(よかった……)
 これでどうにか、いろはがチョコレート簒奪者となりかねない事態は防げただろう。
 ほっと胸を撫で下ろしたみことが振り返れば、百歳が眉を八の字にしてもう!と憤っている。
「ミューズはいろはに甘過ぎですわ! そうやって甘やかしてばかりではつけあがるだけですのに!」
「つけあがってなどいません」
「今まさにつけあがっているじゃありませんの!」
「ま、まあまあ……」

 食ってかかる百歳をなだめすかし、改めて勧められたお茶を一杯だけいただいてから、みことは用事があるからと百歳の部屋を後にした。





「……みことちゃん?」
 聞き覚えのある声に、みことはノックをしようとしていた手をそのままに振り向いた。
 その先に予想した通りの人物を認めると同時、驚きに目を見開く。
「姫空木さん! わ、すごいですね」
 みことが率直な感想を口にすると、姫空木はうん、と頷きつつも曖昧に微笑んだ。
 今、彼の両手は大量の荷物で塞がっていた。
 小ぶりな紙袋をいくつも腕に提げ、両手には四~五個ほど重ねた箱状の包みを大事そうに抱えている。
 中身は考えるまでもなくチョコレートだろう。それも、姫空木を慕う心からの想いが詰まった、いわゆる本命チョコの部類――そう思った途端、みことは自分の場違い感に逃げ出したい衝動にかられる。
 そんなみことの心中を知ってか知らずか、姫空木がどこか困ったように言った。
「みことちゃん。申し訳ないんだけど、ドアを開けてもらってもいいかな」
「あ、はい! あの、どれか持ちましょうか」
「ありがとう。でもこれは僕がもらったものだから、僕が運ぶよ」
 やんわりと、けれど明確な断りを受けて、みことは了解の相槌と共に素早くドアを開けた。
 閉じないように扉を押さえるその横を、礼を告げながら姫空木が通り過ぎていく。姫空木が自室に入ったのを確認してから、みこともその後に続いた。
(……すごい)
 みことは以前、この部屋へと招かれたことがあった。
 その時に見た室内は――当時、みことはとても平静とは呼べない状態ではあったものの――整然と片付けられた、落ち着いた雰囲気ものであったはずだ。
 だが今は、部屋の半分ほどを大小様々な色合いの箱や袋が占領していた。そこへ、姫空木が大事そうに抱えていたものたちが追加されていく。
「これ、全部……」
「うん。多分、今持ってきたのでだいたい半分くらいだと思うんだけど」
(半分……って、これで!?)
 声に出しはしなかったものの、みことはその驚きをありありと顔に出してしまった。
 改めて室内を見渡してみる。
 チョコにしては大きすぎる箱や袋があるのは、チョコに添えた贈り物なのだろうか。
 もし仮に、一人が複数の贈り物をしているのなら、この並外れた物量にも頷けなくはない。まあそうだとしても、一人が受け取る分量としては存分に多いだろうが。
 圧倒されているみことに、姫空木が柔らかく微笑む。
「もちろん、これを僕一人で全部食べるのは無理だってことは、みんなわかった上で贈ってくれてるんだ。お弁当と同じでね」
 毎日の弁当を水妹が作ってきてくれていること、それを蛟にも食べてもらっていることを説明し、姫空木は続ける。
「こればっかりは、蛟に手伝ってもらうわけにもいかないしね」
「あ……そう、ですよね。蛟さん、甘い物は苦手ですし」
 呟いたみことの口元がほころんだ。
 姫空木は右手をそっと身体の後ろに隠すと、徐にそれを握った。握り込んだ指、その爪を手のひらに食い込ませるようにして――強く、さらに強く。
 ただ彼の浮かべる表情だけが、どこまでも穏やかで柔和なまま保持される。
「それもあるんだけど……やっぱりこれは、僕を想っての品だろうから。もちろん、お弁当もそうなんだろうけど、――でも、今日のこれは特別、だよね」
 特別、という言葉に反応してか、みことの視線が大量の贈り物から姫空木の顔に移った。
 二人の視線が交錯する。
 特別ですか、とみことの瞳が復唱しているように思えて、姫空木も、特別だよ、と意志を乗せて見つめ返す。
(そう、君は……特別な女の子)
 この学園、ひいては世界にとっては、現存するただ一人の泉姫として。
 蛟にとっては、恋人……いや、婚約者として。
 そして、蛟以外の五光――自分たちにとっても、彼女は特別な存在のはずだ。
 五光のトップオブトップたるいろはも、それに次ぐ実力を持つとされる唐紅も。
(そして――僕にとっても)
 きっと誰もが、みことを特別だと思っている。
 例え彼女にとっての「特別」が、蛟ただ一人を指しているのだとしても、それは変わることも揺るぐこともない事実なのだろう。
「……そう、特別。だけど、僕の体は一つしかないから、どうしたって無駄にしてしまう。でも僕は、みんなの気持ちをそんな風にしたくない」
 姫空木は芝居がかった調子で頭を振った。
「だったらせめて、みんなの気持ちをしっかり受け止められたら、と思ったんだ。だから今日は、一人一人から、僕が直接受け取ることにした。その場でちゃんと目を見て、ありがとうって伝えたいし」
「姫空木さん……。それで、まだ半分なんですね」
「うん。そんなわけで、皆からの気持ちが持ちきれなくなる前に、一度置きに戻ってきた所だったんだけど……みことちゃんの用事は、聞くまでもないかな」
「あ、はい。でも……」
 みことが持ってきたものはあくまでも「義理」であり、それ以上でもそれ以下でもない。真摯に水妹たちの気持ちと向き合っている姫空木に渡すのはどうしても気後れした。
 言葉を濁すみことに、姫空木はにっこりと笑ってみせる。
「それは僕宛てのもの、でいいんだよね? だったら、僕はそれが欲しいな」
 なおも遠慮する素振りを見せるみことの目を覗き込んで、さらに告げる。
「みことちゃん。……どんなものであれ、僕は君の気持ちも無駄にはしたくない」
 その言葉は、嘘偽りない姫空木の本心だ。
 それが伝わったのか、ややあって、みことの表情からは戸惑いの色が抜け、柔らかな笑みに変化した。
「わかりました。では……どうぞ、姫空木さん。大したものではありませんが」
 室内に置かれた沢山の気持ちを気にしつつも、みことは持っていた袋から箱を取り出し、姫空木へと差し出した。
 それはもちろん、百歳やいろは達に渡したものとまったく同じものだ。
 外装も、その中身も、そこに込められた想いについても、特別な要素は一つとして含有していない。
 それでも、これを受け取った者にとっては特別な品に違いなく――当然ながら、姫空木も例外ではなかった。
「ありがとう。……よかった、ちゃんと直接受け取ることができて」
 だから、そう姫空木が零した言葉も、浮かべた安堵の笑みも、全ては彼の真情によるものだ。だがみことはそれを、気を遣わせまいとする姫空木の優しさと勘違いしていた。
「みことちゃん。開けてもいいかな?」
「あ、はい。どうぞ」
「……トリュフだ。もしかして、みことちゃんの手作り?」
「はい。でもその、材料とかも高級なものではなくて、普通にスーパーとかで売っているもので作ったので……」
 拭いきれない気後れから、みことはつい言い訳じみたことを口走ってしまった。ただそれは、トリュフを一つ口に運んだ姫空木によってすぐに杞憂へと変わる。
「いただきます。……うん、美味しい。すごく……本当に美味しいよ」
 感慨深そうな呟きに、みことはほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとう、みことちゃん。残りは後で大事にいただくね」
「いえ、お粗末様でした」
 姫空木は箱を閉じ、ラッピングされていた包装紙で緩く包み直した。
 そして、他の贈り物と同じように大事に抱え――机の引き出しにそっとしまい込む。
「……さてと、そろそろ僕も戻らないと。みことちゃんは、それを蛟へ渡しに行くのかな」
 姫空木用のチョコを取り出してもなお、ゆるく膨らんだままの手提げ袋。
 それを指し示した途端、みことの表情が強張った。
 姫空木がそれを見逃すはずもなく――正確には見逃すこともできたのだが、彼の親友とその彼女に関わることだ。要らぬお節介も焼きたくなるというものだし、何より。
(……君の役に立つことなら、できる限りのことはしてあげたい)
 ある種の矛盾を孕んだその想いは、姫空木を形成するアイデンティティによるもので。
「いえ、その……これは」
「……どうやら、蛟の分じゃなさそうだね。とすると……斧定先生かな。それとも理事長?」
 身近な名前を挙げてやると、みことは幾分表情を緩めて、静かに首を振った。
「先生と理事長にはもうお渡ししてきました。先生の分だけは、ウィスキーボンボンにしましたけど……」
「それじゃあ……?」
 姫空木に促されるまま、みことは鴻鵠組の委員長に始まり、百歳にいろは、果てはタネとカスにも譲渡済みであることを告げる。
 結果、姫空木の知りうる限り、対象となる人物は一人に絞り込まれた。
「まさかとは思うけど、唐紅先輩に……?」
「……はい」
 幾分間を置いてから、みことはこくりと頷いた。
「五光の皆さんへお渡ししているのに、唐紅さんにだけ、というのもおかしな話だなと思って……」
 口ではそう言いつつも、みことが気乗りしているようには見えない。ということは、みことの持つ袋に入っているそれは、真の意味で「義理」なのだろう。
 その事実に気の毒さすら覚えながら、姫空木は答えた。
「……そんな気を遣う必要なんてないと思うけどね」
「……」
 みことは黙ってしまった。迷っているのだろう。
 あともう一押しすれば、みことは確実に傾くに違いない――思い煩うことの少ない方へと。
(……)
 やがて姫空木はみことに気付かれないよう、小さく、本当に小さく嘆息した。損な役回りしか選べない自身を嘆くために。
(でも、……それがお姫様、だからね)
「まあ、僕にどうこう言える権利はないわけだし。みことちゃん、君の気が済むようにするといいよ」
「……はい」
 頷いたみことの目を見て、姫空木はやれやれと心の中で溜め息をついた。
 心優しい泉姫は、恩情を分け与えることを止めるつもりはないらしい。
「ただ、唐紅先輩なんだけど、先程学園を出て行くのを見かけたから、たぶん華園内にはいないと思うよ」
「そうですか……なら、お部屋の前にでも置かせてもらうことにします」
 それが一番無難な方法だろう。
 桜花組の水妹はそう気性が荒いわけではないし、見つけ次第勝手に捨てる、ということもないはずだ。
「……みことちゃん。もし良かったら、僕が渡しておこうか」
 何故そんな申し出をしてしまったのか、姫空木にもよくわからなかった。
 ただ、――そうただ、部屋の前に置いておいたのでは、今日中に相手の元へは渡らない可能性が高い。それでは、みことの『義理難い』想いが、無駄になりかねない。
 それがどんなものであれ、彼女の想いを無駄にすることはしたくない。姫空木にとっては、それだけの話だった。
「え、あの」
「僕、唐紅先輩の居場所に心当たりがあるんだ」
「で、でも、姫空木さんには水妹の皆さんが……」
「うん。だから、終わった後かな。僕もちょっと用事があるから、そのついでに心当たりを覗いてこようと思って。それで見当たらなかったら、先輩の部屋に置いておくよ」
 泉姫となったみことに、唐紅がちょっかいを出す回数は目に見えて減った。
 ただ、みことにとって苦手意識がなくなったわけではないはずで――代理で渡しておくという提案を聞いてから、彼女の顔から強張りが抜けつつあるのも事実だった。
「……本当にいいんですか?」
「もちろん。それに、蛟が待ってるんでしょ?」
 その一言は、何よりも強くみことの背を押したらしかった。
「……それじゃあ、お願いしてもいいでしょうか」
「まかせて」
 みことから袋を受け取り、中身をそっと確認する。姫空木に渡されたものと同じラッピングの箱が、一つだけ収まっていた。
「確かにお預かりしました。……あ、そうだみことちゃん。一つだけ、いいかな」
「はい、何でしょうか」
「もし、唐紅先輩にこれを渡した時、いらないって言われたら……そのときは、僕がもらってもいいかな」
 みことは一瞬大きく目を見開いたが、その可能性は十分にある、と判断したようだった。ぎこちない笑みを浮かべて、小さく頷く。
「……はい。そうしていただけると有難いです」
「了解」
 程なくして部屋から出た二人は、その場で別れた。
 ぱたぱたと廊下を駆けていく背中はどんどん小さくなり、角を曲がって見えなくなる。
「……さて。僕も行かないと」
 みことが向かったのとは反対方向、彼の水妹たちの待つ方へ姫空木は歩き出した。





「……一体何しに来やがった、クソ姫」
 胸糞悪ぃ、という悪態にも表情を崩すことなく姫空木はにこやかに受け流した。
 紫煙なのかお香なのかスモークなのか、薄暗い店内はけぶっている。
「こんばんは、唐紅先輩。お邪魔なのは重々承知しているのですが、先輩への所用を託ったものですから」
「ンなもん聞いてやる義理はねえ。帰れ」
「それは困りました。彼女から、……なのですが」
 もったいぶった口調でそう告げれば、ぎろり、と獰猛な瞳が姫空木を睨み上げた。それでも姫空木は涼しい顔で、どうしますかと目だけで問い返すのみだ。
「……チッ」
 舌打ちと共に、手にしていたカードをしなだれかかっていた女に押し付けて、唐紅が立ち上がる。姫空木はテーブルについている者達に会釈してから、店の奥へ歩き出す唐紅を追った。
 唐紅は当然のようにバックヤードを抜け、薄汚れた「非常口」の掲示のある扉を開けた。
 ドアを抜けた先は外で、建物の裏手に出たことがわかった。壁に沿って業務用のポリタンクやケースが乱雑に積まれている。この店の通用口なのだろう。
「で? あの女がくれなゐ様に何の用だ」
 姫空木は「彼女から」としか告げなかったはずだが、唐紅は「あの女」と彼にとってのただ一人の女性を指す言葉を使った。
 そのことに僅かに口元を歪めながら、姫空木は預かってきたものを取り出した。
「これです」
 綺麗にラッピングされたそれを見るなり、唐紅はくだらないとばかりに鼻で笑う。
「なんだそりゃ」
「チョコレートです。より正確に言うなら、トリュフですが」
「んなこたどーだっていい。……はっ」
 くるり、と唐紅は反転し、箱を差し出したままの姫空木に背を向けた。
「あの女のことだ、大方、他の五光に渡してんのに俺だけに渡さないのは坐りが悪いとか、そんなとこだろ?」
 まるで見てきたように言うな、と姫空木は思う。
 とはいえ、仮に唐紅と同じ立場であったら、姫空木も同じように思ったことだろう。
 そういう意味では、この先輩と自分は同類なのだ。
 唐紅が見ていないのをいいことに、姫空木はじっと憐憫の目を向けた。
「もし先輩が不要ということでしたら、これは僕がもらって構わないという許可は取ってあります」
 気が付けば、姫空木は言う必要のないことを口にしていた。
 それはまさしく同情であったのかもしれないし、フェアではないという騎士道精神によるものかもしれなかった。
 ただ何にしても、姫空木には勝算があった。
「……チッ」
 この至極わかりやすい挑発に、彼が乗ってこないはずがない、ということに。
「誰もいらねえとは言ってねえ」
 さらに反転し、再び姫空木と向き合った唐紅が、大股で一歩前に出た。
 差し出された箱を奪い取るように掴むと、そのまま姫空木の横をすり抜け、出てきたドアの方へと歩いて行く。
「唐紅先輩」
 足音が止まったのを受けて、姫空木は後を続けた。
「それ、確かにお渡ししましたので。……では、失礼します」
 もはや、互いに相手を振り返ることはないだろう。
 隠す必要のなくなった笑みを口元に貼り付け、姫空木は満足そうに告げた。
 そうして歩き出した姫空木の耳には、唐紅が開けるであろうドアの開閉音はついぞ届くことはなかった。
「……」
 姫空木が立ち去った後、唐紅は屋内に戻る気が起きずに、その場に立ち尽くしていた。
 ふと、燻るような感情のまま、手の中に収めたそれを握りつぶそうとする。が、結局そうしなかった。
 代わりに、乱雑にラッピングを解き箱を開いた。
 中には姫空木の言っていた通りに、トリュフが四個収まっている。
 唐紅は無造作に一つを摘むと、口の中に放り込んだ。
「……クソ甘ぇ」
 そう評したのは、甘い物が得意ではない彼氏のために準備した、ビターチョコレートを使用したはずのトリュフのことか。
 それとも、あんな真似をされて敵視全開だったわりに、義理難くこんなものを送ってくる泉姫のことか。
 あるいは、その両方だったのかもしれない。
「あの野郎……いらねえもんを裾分けしてきやがって」
 今唐紅が持て余しているものは、これを届けに来た相手からもたらされたといっていい。
 つまりは、裾分け――押し売りに等しい、気持ちの強制共有。
 わかりやすい挑発に乗ってやるんじゃなかったと、唐紅は舌打ちする。
「……」
 それでも足りず、あのクソ姫、と静かに毒づく他なかった。




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蛟ED後のバレンタイン話なのに蛟さん不在とかほんとひどい話でマジすまんかった。
というか姫様はもっとアレゲなことになっているべき(びずろぐ付録小冊子的に考えて)だろうにかなりマイルドなテイストにしてしまったことはわりと反省している。