meganebu

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consolation prize

恋戦記で師匠EDからあんまり時間経ってないあたり。

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「休憩にしようか」
 猫のように伸びをしている師匠に、はい、と返事をして立ち上がる。
「何か飲み物もらってきますね」
「いいよ持ってきてもらえば。――あ、そこの人悪いけどお願いできるかな。お茶を二人分」
 師匠は部屋の小窓から通りすがりの侍女さんに声をかけた。
 かしこまりましたと聞こえる返事には動揺した様子もなくて、ずっと前からこういう横着なことをしているのかもしれなかった。
「はーやれやれ。終わらないね全く」
「そうですね」
「ほら、君もいつまでも突っ立ってないで、そこ座って」
「あ、はい」
 言われるままに床敷きの絨毯の上へ正座する。
 着ているのはもう制服ではないので、短いスカートを気にして正座をしなくてもいいのだけれど、何となく。
(でも、足を崩して座ってたら、女の子がそれでいいのとかだらしないとか、そういうことを色々言われそうな気もするし)
 書簡が山積みになっている机から師匠がやってくると、失礼しますと外から声がかかった。
(お茶かな。にしては早いような……)
 などとぼんやり考えていたのがいけなかった。
「孔明様。玄徳様からの書簡をお持ちしました」
「ああ、ご苦労様」
 受け取りに行こうと立ち上がりかけた時には、師匠が書簡の山を受け取ったところだった。
「あっ、あの師匠すみま――」
「また増えた。今日も終わるの遅くなりそうだなあ。……って、何か言った?」
「え。あの」
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
「ああ、どうも。それじゃ休憩休憩」
 お茶が届いたことで、私の中途半端な謝罪はなかったことになった。
(……変なの)
 てっきり、弟子のくせに師匠を働かせるのとか何とか、嫌味が飛んでくると思ってたのに。
(今日の師匠、何かいいことでもあったのかな)
 とりあえずお茶を淹れていると、書簡の山を机に置いてきたらしい師匠が戻ってきた。
「よいしょ」
「……」
 まず思ったのは、師匠が戻る前にお茶を先に淹れておいて良かった、ということだった。
(……えーっと……)
 正座した膝――というか太股の上に、人の頭が乗っかっている。
 人っていうか、師匠だけど。
「あの、師匠」
「ふわああ。何?」
「え、その……お茶、冷めちゃいますけど」
「うん。そうだね。でも休憩だから」
(……話が噛み合ってない……)
 このままだと私もお茶が飲めない。
 師匠と向かい合わせで座ってお茶を囲むのかと思ったから、お茶は手元より少し遠い位置にある。
 取るには、少し前屈みにならないと無理かも。
「んー……」
 どうしようかと迷っていると、穏やかな寝息が聞こえてきた。
 いつだったかと同じように、師匠はあっさり眠ってしまったらしい。
(……気にすること、ないかな……)
 ただ、袖が顔にかかったりすると起こしてしまうだろうから、袖を注意深く持って、そろそろと体を前へ。
 腕を伸ばして、指先に陶器の感触が伝わる。
(……と、れた)
 ゆっくりと姿勢を戻して、安堵の息を吐く。
 さっそくお茶をいただく。妙に喉が渇いてしまったせいか、お茶の葉は多分いつもと同じものなんだろうけれど、とても美味しく感じた。
「はー……」
 ふと師匠の机を見やって、一気にげんなりする。
(本当に終わるのかなあ……。まあ、やるしかないんだけど)
 そうしてお茶を飲み干してしまうと、もうやることがなくなってしまった。
 もちろん休憩時間なんだから、やることと言えば休むことなんだけど、膝に乗った頭のせいでちっとも休んでいる気がしない。
(ちょっと足が痺れてきたかも。うー……)
 かといって、師匠の寝顔を覗き見ればすごく気持ちよさそうで、起こすのも忍びない。
(もうちょっとしたら、起こそうかな……。うん、そうしよう。今日中に終わらなくなっちゃうし)
 書簡の山を見ると気が滅入るので、窓の方に目をやる。
 外は良い天気で、日向ぼっこでもしたら気持ちよさそうだった。
 しばらくは毎日忙しいから覚悟してねと言われているので、そんなことができるのは随分先のことなんだろう。
 少しだけ遠い未来に思いを馳せながら、私は窓の向こうの青空をぼんやり見つめていた。



***



(――……ん)
 何かのはずみで、意識が急浮上する。
 開いた視界に映るものを理解するまでに、少しかかった。
「――え、っ」
 反射的に頭を後ろに退く。
 起き抜けで今自分がどんな体勢でいたのかも把握してなくて、ぐらりとバランスを崩したことだけがわかる。
 ばたばたと両腕を動かすと床に当たって――自分は座った姿勢で後ろに傾いでいると理解して――そのまま両手をぺたりと床につけた。
(っいたた)
 後ろに傾いた姿勢のおかげで中途半端に正座が崩れて、痺れ気味なのも加わって嫌な痛みが走る。慌てて足を崩して、ついでに体勢も元に戻す。
 そんな自分をじーっと見ていたその人は、呆れたように言った。
「……何してるの」
「な、何って、そ、それはこっちのセリフで……」
「ボクは君が寝惚けて一人で暴れてるのを見てただけだけど」
「っそ、その前にな、何かして……しようとしてましたよね!?」
 問い詰めながら、目を覚ました瞬間の情景を思い出して一気に顔が熱くなる。
(し、師匠の顔が本当にすぐ目の前のところにあって……)
「したね。あと少しのところで君が目を覚まして、挙句に人の顔を見るなり逃げるみたいに避けてくれたけど」
「だ……だってそれは、びっくりして」
「どうしてあそこで逃げるかなあ」
「に、逃げてなんか」
「ボクからこんなに距離を取っといて何言ってるの。……あーあ、傷つくなあ」
 師匠は普段と大して変わらない表情のまま、ものすごくわざとらしくそう言った。
 反論したいけど、反射的に避けてしまったのは事実なので、何も言い返せない。かといって、謝るのも何か違う気がする。
 私は不服そうな顔にならないよう努力しながら、ただ顔の熱が引くのを待った。
「……まあいいや」
 師匠は飲み干したらしいお茶のカップを置くと、
「君、いつまでだらしない格好してるの。正座!」
「は、はい」
 僅かに痺れが残っていたけれど、正座してみるとそれほど痛みはない。
 良かったとほっとしていると、師匠はまたごろりと横になった。……私の膝を枕にして。
「やっぱり若い女の子の膝っていいよねえ。これが布越しじゃなかったらもっといいんだけど」
 師匠が何だか世迷い言を……もとい、ものすごく返答に迷うことを言った。
(それって、またスカートを穿けってことなのかな……え、ええー……)
 とりあえず、聞かなかったことにした。
「……まったく。人を膝枕しながら寝るとか、君は随分器用だよね。それも一度だけじゃなくて二度も」
 これ、誉められてないよね、多分。
 何か言っても藪蛇って気がするし、黙っておこう。
「変わったのは服装だけ。……本当、君は変わらないよね」
 つまり、成長していない、と言いたいのかな。
 情けないけどそれは事実だと思うので、やっぱり言い返せない。あと、わかってることとはいえ、ちょっとへこむ。
 自然と俯いた私の視界に、にゅっと師匠の手が伸びてきた。
(え――)
 頬に触れた師匠の手が、私の視線を誘導する。
 私の膝に横向きで寝ていた師匠が、いつの間にか仰向けの状態になっていた。
 私を見上げる、逆さまになった師匠と目が合う。
「ほんと、どうして帰らなかったの」
 囁くような師匠の声は、優しくて、それでいて――ひどく、切なくて。
「君が元の世界に帰って、ちゃんと幸せになってくれたら、ボクはそれで良かったのに」
「――」
 言葉が出ない。
 私を見ているはずの師匠の瞳は、どこか遠い何かを映しているようで。
「そうしたら……ボクのしたことは正しかったんだって、そう思えたのに」
 師匠は、まるで私を責めるかのように――あの日別れを告げようとしたときの、柔らかくて、けれど残酷な笑みを浮かべて、そう言った。
(……ちがいます、よね。師匠)
 それは本心じゃないですよね。そうやって、自分に言い聞かせようとしてるだけですよね。
(そんなの、必要ない、のに)
 そんな――そんな今更なことで、罪悪感を持つ必要なんか、どこにもない。
(だって、私がここにいるのは――)
「師匠」
 私は精一杯に強がって、笑ってみせる。
 師匠の言葉はとても重くて、弟子の私にはひっくり返すことすら難しい。
 でも、負けたくないし、負けるつもりはない。
 だから、きっぱりと笑顔で告げる。
「今、私とても幸せです」
(――私がここにいるのは、私が選んだからだ。師匠を。師匠がいるこの世界を)
 師匠はしばらくぼんやりと私を見つめて、そして、ゆっくりと破顔した。
「うん。そうだね」
 真っ直ぐな言葉だった。
 その上で同意をもらえたとあって、私は良かったとほっと一安心――したのも束の間。
「うんうん、君ならそう言ってくれると思ってた」
(……あれ?)
 師匠は先程のアンニュイな雰囲気はどこへやら、ひたすらお気楽に微笑んだ。
「いやあ、そう言ってもらえると救われるなあ」
「……」
 もしかして、もしかしなくても、からかわれたんだろうか。
(――っし、師匠……!!)
 でもやっぱり、言い返すことはできない。
 別に師匠の言ってることはおかしいわけじゃないし、その、ちょっと態度がアレなだけで……だけで……。
(亮くん、どうしてこんなになっちゃったんだろう……)
「ん、何?」
「いっ、いえ! 何でもないです!」
「ふーん。そう?」
 ひょっとして、顔に出てたんだろうか。
 これからは、師匠の前ではあまり気を抜かないようにしよう。うん、それがいい。
「……ねえ、花」
「あ、はい」
 見ると師匠はまた柔らかな笑みを浮かべていた。
 その笑みには、切なさや意地の悪いものは含まれていないように見える。
「帰りたくなったら、ちゃんと言うんだよ」
「……え」
 師匠の表情には何の裏もなさそうなのに、それなのに、急に何を言い出すんだろう。
「でも、師匠。本はもう消えちゃって……」
「そうだね。それでも、もし君がそれを望むなら、ボクは全身全霊をもって、君が帰れる方法を探そうと思う」
 私は瞬きもせず、師匠を見下ろす。
 見つめてくる師匠の瞳は――間違いなく、私だけを捉えていて。
「――わかりました」
 だから私も、自然に顔が微笑むのを自覚した。
「帰りたくなったら、ですよね」
 逆を返せば、帰りたくならなければ、そんなことを言う必要なんかないってことだ。
 なんだろう。なんだか嬉しい。
 師匠が私のことをそこまで考えてくれたこととか。
 あと、師匠の提案を逆手に取って、揺るぎない私の意志を伝えられたことも。
「……」
 師匠は何も言わずに体を起こした。休憩は終わりということだろう。
 茶器を片付けようとすると、その場に座ったままの師匠がぼそりと呟いた。
「生意気だな」
「え?」
「ボクの弟子にしては、回答が模範的すぎる」
 回答って、さっきの質問のことだろうか。
「あの、模範的すぎるって……」
「もう少し捻って、斬新さが欲しいかなあ。見方や切り口を変えたりして発想の転換を図ることは、今後軍師としてやっていくのに必要なことだと思うし」
「は、はあ……」
 これって、ダメ出しされてるん……だよね。
(まさかさっきのも、そういう軍師としての力を試す意味での質問だったってこと?)
 うわっ。普通にひどい。
「というわけで」
 地味にショックを受けていた私の目の前に、一瞬だけ師匠の顔が広がった。
(……え?)
「はい、残念賞」
 残念賞……って、あれ、にっこり笑って言ってくる師匠はもう目の前にはいなくて、さっさと立ち上がって机に向かおうとしていて――
「――っし、師匠っ!?」
「なに、急に大声出して。休憩終わりだよ。ほらさっさと仕事始めて」
「えっだっ、だっていま」
「残念賞が不満? まあ、頑張ったら、もっといい賞をあげるよ」
「い、いい賞、って」
「知りたい?」
「――い、いいです! こっこれ片付けてきますから!」
 茶器を乗せた盆を持って、私はばたばたとその場を逃げ出すしかなかった。


(っし、師匠、のばか――!!)


 ――そうして、私が「もっといい賞」を知ることになるのは、それからもう少し先の話。





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 何で師匠にはまうすつーまうすのちゅーイベントが無いんだ!(だんっ) というパッションを勢いでぶつけたらこうなった。
 反省はしていない。