meganebu

Gallery

Enjoy The Day

実月さんだと思った? 残念仲村でした! たまに書きます。駆とこはるのお話です。

 カーテンからもれる青白い月明かりに照らされた部屋で、白いシーツに白いシャツを着て横たわる駆の姿はまるで氷の棺に眠っているようにみえた。

 部屋の空気に飲まれて一瞬だけとめた足を再び動かし、音を立てないようにそっと椅子をたぐり寄せてこはるは腰を下ろす。二人のベッドのそばにある小さな丸テーブルに、こはるが愛用する万年筆と糸でとじたノートをそっと置いた。

 机上のランプに明かりを点け、同居人の寝顔に光がかからないよう小さな板を側面に立てかける。

 ほんの少し顔を向ければ駆の顔がみえる位置だ。ここなら仮に同居人がおきたとしてもすぐにわかる。今日の彼は深く眠っているようだった。

 万年筆をノートに走らせる。今日あったこと、何を食べ、二人で何をしたのか。とりとめのないことを書き連ねる。

 最初は、船をおり、街からも遠いこの地でたった二人で生活するための金銭のやり取りや食料の管理、なにより同居人である駆の容体記録のためにつけ始めた日記だったが、いつの間にかこはるの私的な感情を書き連ねるようになっていた。

 さまざまな本を貪欲に読みこむ彼女は日記というものも多く知っていた。偉人の手記であったり、ある特定時期の特定地域に住んでいたがために歴史的に高い価値を持つようになった市民の日記など、世の中に出回る本には誰かの日記というものが多く含まれているからだ。

 この日記を書くようになったころはそれまで読んできたさまざまな日記を、記憶を頼りに参考にしていた。ただひたすら数字や物資を記録していくもの、出会った人や見かけたものを書き連ねていくもの、絵をそえるものなど、さまざまな変遷を経て彼女にとって一番しっくりきたのは誰かに語りかける形で記すものだった。

 誰かにあてたわけでもなく、誰かに読ませる気など毛頭ないが、それが一番筆の進みがよかったし気持ちを素直に書き表せると感じていた。

 

『駆さん』

 

 日記の冒頭には、お決まりとして語りかける相手の名前を書いていた。

 よくよく考えるとこの形式はなかなかに恥ずかしく、本当に駆に読まれてしまったと考えるだけで炎にまかれて灰になってしまいたい気持ちになる。だから駆が眠る深夜にだけこのノートを開く。今の彼は一度眠ると自然起床するまでよっぽどのことがない限り、起き上がることはない身体になっていた。

 さらさらとした万年筆が紙を食む感触が心地よい。窓の外からは鈴を鳴らしたような虫の音が聞こえていた。

 

『駆さん、最近知ったことがあります。

 これは以前からなのですが、本を読んでいると頭の中でその本の続きを読んでいるときがあるのです。何度手元の本を読み返してもそんなことは書いていないのに、なぜか頭の中ではちゃんと物語の続きが存在していました。長い間、そんなのはおかしいって思っていました。私は特殊で、おかしな子だからこんなものが頭に浮かぶのだと。

 でもつい先日、あの船のみなさんがこの家にいらしたときに、何かの拍子でそんな話になりました。恥ずかしいことでしょうかと朔也さんに尋ねたら、そんなことはない僕も同じような経験があるといってくれたのです。こういった経験がない人もいるが、総合的にはさして珍しいことではないと。

 私、それを聞いてほっとしたような、私だけじゃないと知ってくすぐったい気持ちになりました。

 それから朔也さんとは何を読んでどう思ったとか、どういう続きを頭の中で読んだのかという話をしていました。駆さんが何度も朔也さんを呼ぶので中断してしまいましたが、あのままだと夜になっても話していたと思います。

 

 それでですね、駆さん。その時は正宗さんもいらして頼んでいた荷物を届けてもらいました。

 あの島に保存していたたくさんの歴史の本です。大変貴重な資料で持ち出せるのはほんのごく一部しか許可が出なかったそうですが、私が希望していた本の大半はその中に含まれていました。

 旅人さん、結賀史狼が直接書いた資料です。プライベートな手記が大半で、読むのは心苦しかったのですが、心の中で謝って誰にも内容を公言しないと誓ってから読み始めました。

 実をいうと、島に滞在していたときにも旅人さんが作成に関わった資料を見せてもらいました。どうしてかわからないですが、旅人さんがあの戦いのあとに死んだと聞いて呆然としているときに、そんな資料があると正宗さんから聞いて無心で読みふけっていました。ほとんどがアイオンさんやリセットの研究資料だったので、とても難しくてすべてを理解することはできませんでしたが、旅人さんがたくさんの偉大なことを成しているのはよくわかりました。

 それでも、旅人さんが何をしたのかを記す資料はたくさんありましたが、旅人さんとはどういう人で、何をしたかったのかということを記した資料はほとんどありませんでした。正宗さんから届けていただいた手記も直筆ではありましたが、大半は研究のための書き込みばかりで私的なことはほとんどなにも書かれていません。

 でもどうしてか、つい先ほど手記を読み終えて表紙を閉じたとき、私は旅人さんの人生を描いた物語を頭の中で読んでいたのです。

 もちろんこの物語はなんの根拠もありません。旅人さんの経歴はほとんど残っていないのです。リセット前の世界から優秀な研究者で、不幸な事故で奥さんをなくされていて、それでもリセットに対してもっとも熱心な人だったということだけ。

 それでも、どうしてでしょうか。

 旅人さんがなにをして、どう行動し、なにを捨てて、何を得て、その繰り返しの果てになにをしたかったのか。おぼろげながら旅人さんの目的が見えた気がしました。

 旅人さんもまた、よりそいたい誰かがいて、その人に出会いたくて長い長い旅をしていたのではないでしょうか。長い長い、世界と歴史を巻き込んだ、とても長い旅を。

 

 駆さん。

 私は人と一緒にいられるようになりたくてあの船に乗りました。でも同時に、どうして人と人はよりそおうとするのか、そんなことがわかりませんでした。

 おかしいですよね、わからないことをしたいだなんて。

 今も、なにもわかりません。

 

 でも、でもね駆さん。

 あの船にいたのは結局ほんのわずかな時間でしたが、今までの経験の中でもっとも多くの人とかかわり、多くの人のことを知った期間です。船の皆さんのことを知り、世界のことを知り、戦って傷ついて、あなたに出会って、旅人さんと再会しました。

 実をいうと、そのときから知り合った誰かの物語を頭の中で読んでいることが時々ありました。おかしなことだと思っていたので誰にも黙っていました。

 朔也さんは本を読んで物語の続きを想像するのはよくあることだとおっしゃってくれましたが、目の前にいる誰かの人生を想像することもよくあることなのでしょうか。

 どんなことに気がつくのかとか、どんなものの見方をするのか、どんなものを好んでどんなものを嫌い、誰のどんなところをどう受け止めているのか。時々お話しする昔のことや、故郷のこと。そういったことから、ああだからこの人はいまこういった人なのか、といった納得を得られることもたびたびありました。もちろん何も根拠はありません。

 本を読むのは大好きです。大好きな本の続きを読むのも大好きです。それと一緒で、大好きな人たちの昔のことやこれからのことを聞くのは大好きです。

 大好きな物語に触れて、その続きに触れると、私はとても愛しくて、切なくて、気持ちが熱くなります。

 熱くて熱くてまるで炎のようなのですが、この熱にずっと触れていたい。

 

 だから、駆さん』

 

 虫の音が途切れる。

 こはるがはっと顔を上げると、眠る駆の頬のあたりに、ちょうど差し込む月光があたっていた。

 浅い呼吸、白い顔色。わずかに動くのど元をみなければ、瞳を伏せた顔立ちはまるで精巧な人形のよう。

 知らず、こはるは左手を握りこむ。ぎゅうと音がして爪が肉に食いこみ、うっすらと血がみえたがこはるの視線はベッドの上の駆にそそがれている。

 椅子から立ち上がり、窓辺によってカーテンの隙間を閉じる。部屋の中に影が落ち、赤みを帯びたランプの明かりに照らされる駆は生きた人間にみえて、つめていた息をはきだした。

 再び腰を下ろして、ランプの明かりを強くする。ふたたび、万年筆を走らせる音が静かに部屋の中に響いた。

 

『だから、駆さん。

 

 私、とても欲深くなってしまいました。

 あの船を下りてから日に日にこの思いが強くなるのを感じています。

 誰かの、みんなの、この世界の熱に触れていたいと思っているのです。

 でも私はあなたと共にいたい。ずっと共にいたいのです。

 どうして、私はこんなことを考えているんでしょう。少し前までこんなこと考えたことありませんでした。

 どうして、私はこの二つを両立したいだなんて思っているのでしょう。

 

 先日みなさんがいらしたとき、千里さんにこのことを相談したのです。

 最初はまったく別の話をしていたのに、気づけば千里さんに相談していました。

 そうしたら「あなたは生きたいと思っているんですね」と。

 そうなのでしょうか。私は、私のこの熱は、これは生きるという欲望、私の 生きたい という気持ちなのでしょうか。

 

 駆さん。

 

 私が、私は生きたいと思っているとして、同時にあなたと共にいることを相反するものだと考えている。

 私は つまり これは

 あなたは』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紙面にはいくらか濡れたあとがあり、最後のほうは文字も巻き込まれてインクがにじんでいた。ただそこから先に何か書かれている様子はない。

 部屋の片づけをしていて、戸棚を整理しているところりと転がってきたのは使いこまれたノート。見覚えのない表紙だったので同居人の本が隙間に挟まっていたのだろうかとぱらぱらと開き、たまたま他よりたわんだページに目に留めただけだった。

 すぐに彼女の日記だと気づいたが、こんなものを記しているとは知らなかったのでさわりのないところだけ読んで後でからかう要因にできないかと悪戯心がもたげたが、そんな気持ちも読み進めるうちにしぼんでいく。

 誰に読ませる気もない文章なのだろう。内容はとりとめのない生活の記録からはじまり、綴られる内容は脈絡も薄かった。思いついたこと、考えていたことを結論も持たずに書き綴ったことが読み取れる。時に支離滅裂と思える文脈は、もしかしたら結論を出したくないゆえかもしれない。

 深く息を吐き出して、駆はノートを閉じる。

 そこで部屋の外から同居人の呼ぶ声が聞こえた。あわてて助けを求めているようで、別の部屋の掃除でなにかを落としたのだろうか。

 すぐいくよと返して、実際閉めようとしていた窓をほったらかして駆は部屋からでていった。

 窓の外には透明感のある青空が広がっていた。そよそよと流れる風はひんやりと涼しく、カーテンの端を静かに揺らす。

 置き去りにされたノートが、流れ込んできた風でいくらかページがめくれていく。

 丁寧な文字でぎっしりと書かれたページ、インクがにじんだページ、たった一言だけ斜めに乱暴に書かれてあとは白紙のページ、濡れてかわいたいくつかのページ。たくさんの想いが綴られたページが過ぎていき、やがて白紙のページで風がやむ。

 部屋の向こうからこはるの驚く声が聞こえた。

 

「えっ、島に行きたい、ですか。そんな、急にどうして。

 ……いいえ、いいえ! とても嬉しいです。駆さん、あの島にはなるべく近寄りたくないなんていってましたから。

 正宗さんやみなさんにまた会えますし、それに……それに、あの島の技術で駆さんの身体を診てもらえます」

 

 取り残された部屋で、まだなにも書かれていない、これからの日々を書かれることになるページが暖かい日差しに照らされて輝いていた。